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01 師の生涯と共に Taiko  日蓮聖人(にちれんしょうにん)には、大勢のお弟子やご信者がおられました。晩年に身延山(みのぶさん)でお書きになられたお手紙を拝読いたしますと「人はなきときは四十人、あるときは六十人」とあります。
02 身と心で読んだ人 Taiko 「師孝第一(しこうだいいち)」と呼ばれる日朗(にちろう)上人。兄弟子であり日蓮聖人の一番弟子である日昭(にっしょう)上人は伯父にあたり、日昭上人の勧めで大聖人の元に入門、十八歳で出家得道…

03 お釈迦さまの本心 Taiko 「日蓮聖人って一体どんな人ですか?」
「日蓮宗の開祖ですね」
 これは半分正解のようですが、間違いです。なぜって?それは日蓮聖人ご自身が「日蓮はいずれの宗の元祖にもあらず…

04 布教の始まり Taiko  日蓮聖人のご生涯は、法華経の実践そのものでした。またそれは同時に、たび重なる法難をも意味します。
 建長五年四月二十八日、立教開宗(りっきょうかいしゅう)のその日に…

05 法難は真実の証明 Taiko  日蓮聖人のご生涯は、法難・迫害の連続でした。ご草庵の焼き討ち、伊豆伊東への罪なき流罪。さらには眉間に刀傷を受けられ、龍の口での斬首の刑では一命をとりとめましたが「生きて帰れる者はない」といわれた…

06 龍口法難 Taiko  日蓮聖人には、六老僧を代表とする大勢のお弟子やご信者の方々がおられ、僧俗を問わず大聖人のお言葉に耳を傾け「法華経の法門」を学び、生活の指針とされていました。その方たちに与えられたお手紙を拝読すると…

07 情けの人 Taiko  世間の人の日蓮聖人に対するイメージは「気が強い・厳しい・激しい」等、そうお感じになる人が多いようです。どうもこれは、諸宗批判や、時の為政者(いせいしゃ)を諌(いさ)めたことに端を発しているのでしょう。

08 日蓮が弟子 Taiko 「法に依(よ)って人に依らざれ」
 仏の言葉のみに信順(しんじゅん)し、いかなる学者の言葉であったとしても、それに信順してはならない……。お釈迦さまの遺言ともいわれる『涅槃経(ねはんぎょう)』のお言葉です。

09 師弟の想い Taiko  文永八年の法難(龍口・佐渡法難)では、大聖人お一人に止(とど)まらず、大勢のお弟子やご信者にも幽閉(ゆうへい)・所領没収・追放といった沙汰(さた)が下りました。この時、以前お話しした六老僧(日蓮聖人の高弟)の…

10 この経は持(たも)ち難し Taiko  日蓮聖人は弘長元年五月十二日に理不尽(りふじん)にも逮捕され、伊豆の伊東へ流罪にされました。いわゆる「伊豆法難」です。この時、由比ケ浜(ゆいがはま)に集まる弟子信者の中で師孝第一とうたわれた日朗上人は…

11 お釈迦さまへのお給仕 Taiko  文永十一年四月、佐渡流罪を赦免(しゃめん)せられた日蓮聖人は、三度目の国家諌暁(こっかかんぎょう=幕府への忠告)をされます。しかし、ついに時の幕府がこれを用いることはありませんでした。

12 法華経に説かれたご生涯 Taiko  一般的に、日蓮聖人といえば「鎌倉時代に活躍した日蓮宗の開祖」と表現されます。ところが以前にもお話した通り、聖人がより所とされた法華経、あるいは聖人ご自身がしたためられた書状等を注意深く拝読すると…

13 未来までも流布すべし Taiko 「日蓮が慈悲広大ならば、南無妙法蓮華経は万年のほか未来までも流布(るふ)すべし」
 日蓮聖人が、身延山でお認めになられた『報恩抄(ほうおんじょう)』の一節です。そのお言葉通り、今もなお、そのみ教えは…

14 身に読む喜び Taiko  日蓮聖人が受けた法難は、暴徒によるお住まいの焼打ち・斬首(ざんしゅ)の刑・島流し・罵詈雑言(ばりぞうごん)・殴打(おうだ)等々様々で、小さなものまで含めるとその数は枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がありません。

15 演じる楽(ねが)い Taiko  日蓮聖人は、ご自身が法華経に説かれた法華経の行者=上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)であると確信されました。
 法華経を拝読すると、末法に法華経を広める者は難に遭(あ)うと説かれています。

16 仏恩を報ぜんがため Taiko  一般的に、日蓮聖人の人間性を「独善排他的」ととらえている方も少なくないようです。なるほど大聖人が「法華経でなければならない、諸宗の教えはお釈迦さまの本意ではない」と始終叫び、他宗を厳しく…

17 お釈迦さまの使者 Taiko  私たちにとって、日蓮聖人とはどのような存在なのでしょう。鎌倉時代の名僧、あるいは単に「一宗の開祖」なのでしょうか。
 日蓮聖人ご自身は「日蓮は何(いずれ)の宗の元祖にもあらず、又末葉にもあらず」と…

18 大聖人との触れ合い Taiko  日蓮聖人と時を隔てて生きている私たちは、大聖人の生のお声を聞き、教えを頂戴することはできません。もちろん、生身のお姿も拝見することは叶いません。肖像画やご尊像から、お姿やお声を想像することしかできないのです。

19 大いなる信心 Taiko 「鰯(いわし)の頭も信心から」
 鰯の頭でさえも、ご利益があると信じていれば有難く思えてくるという意味ですね。さて、私たちの「信」はどうでしょうか?
 日蓮聖人も信心の重要性を示されましたが…

20 法難を耐え忍んで Taiko  「大難四カ度、小難数知れず」と言われるように、日蓮聖人のご生涯は誠に厳しいものでした。
 お住まいである草庵の焼打ちに始まる法難は、日蓮聖人のお命を何度も脅かし…

21 弟子たちの退転 Taiko  法華経には、この経を信じ広める者は必ず難に遭(あ)うと予言されています。ですから日蓮聖人は、我が身に火の粉のごとく迫り来る法難を「経文に我が身普合(ふごう)せり。ご勘気(かんき=幕府の弾圧)をかおれば…

22 我深く汝等を敬う Taiko  文永八年の竜口法難の折、「千が九百九十九人は堕ち候」と教団が壊滅的危機に陥った中、決死の覚悟で大聖人に随従した四条金吾に与えれたお手紙『崇峻天皇御書』の末文には「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は…

23 如来の使者 Taiko  数多くおられた日蓮聖人のご信者の中でも、四条金吾は代表的な信者のお一人です。
 以前にも述べたように、文永八年の龍口法難の折には、我が身にかかる法難に恐れおののき、多数のお弟子やご信者が大聖人の下を…

24 法華経の行者 Taiko  法華経の行者とは、法華経の教えに従い、法華経の指し示す通りに修行し実践する人のことをいいます。
 日蓮聖人は「法華経の行者漢土(かんど)に一人、日本に一人、已上(いじょう)二人。

25 仏さまの要求 Taiko  平成二十一年に、日蓮聖人が前の執権・北条時頼に諌(いさ)めの書「立正安国論(りっしょうあんこくろん)」を奏進(そうしん)してから七百五十年を数え、平成三十五年には日蓮聖人御降誕八百年を迎えます。

26 お題目への歩み Taiko  日蓮聖人は、今の千葉県・小湊(こみなと)の地に漁師の子としてお生まれになりました。ご幼名を善日麿(後に薬王麿と改名)といい、父の名を貫名次郎重忠(ぬきなじろうしげただ)、母を梅菊といいます。

27 価値あること Taiko  三位房日行(さんみぼうにちぎょう)上人、日蓮聖人のお弟子の一人です。師に与えられたお手紙を拝読すると、相当な知恵者であり、大聖人も相当な期待をかけておられたようです。
 建治三年(一二七七)の…

28 信頼関係 Taiko  身延山の日蓮聖人のもとには、信仰相談、あるいはお供養の品々をお届けするために、鎌倉の地をはじめ故郷である安房小湊(あわこみなと)、遠くは佐渡島からも、大勢のお弟子やご信者が訪ねてこられました。

29 法難と供に Taiko  日蓮聖人に対する法難は、文永十一年三月の佐渡流罪赦免にて一往の終息をみますが、鎌倉や富士近郊に在住のお弟子やご信者に対しては、さまざまな法難弾圧が続きました。
 結句「我弟子等の中にも、兼て聴聞せしかども…

30 孝養の人 Taiko  東京都大田区に、大本山池上本門寺があります。もとは日蓮聖人のご信者である池上宗仲(むねなか)の屋敷で、大聖人滅後に開堂供養をし、本門寺と名付けたと伝えられています。
 さて、宗仲には宗長(むねなが)という…

31 立正安国論の如し Taiko  立教開宗のその日から、身延山に入山されるまでの日蓮聖人は「二十余所をわれ(追われ)、結句流罪に及び」という状況であり、法門談義あるいは門弟育成もままならぬ状況でした。それ故、身延山では精力的に…

32 跡を継ぐもの Taiko  一二八二年(弘安五年)十月十三日の辰の刻(午前八時頃)、日蓮聖人は池上宗仲(むねなか)公の館(現・東京都大田区池上本門寺)にて六十一年のご生涯を終えられました。
 日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持という…

 

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