開目の章 |第22回「我深く汝等を敬う」 by Taiko

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 文永八年の竜口法難の折、「千が九百九十九人は堕ち候」と教団が壊滅的危機に陥った中、決死の覚悟で大聖人に随従した四条金吾に与えれたお手紙『崇峻天皇御書』の末文には「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬しはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」とあります。

 いうまでもなく法華経の教義の肝心は如来寿量品ですが、修行の肝心は常不軽菩薩品にあるとのご教示です。

 常不軽菩薩は、道行く人すべてに「我深く汝等を敬う。敢(あえ)て軽慢(きょうまん)せず。所以(ゆえ)は何(いか)ん。汝等(なんだち)皆菩薩の道を行じて当に作仏することを得べし」と述べ、礼拝行をされました。

 また、『顯佛未來記』には「不軽菩薩、我深敬等の二十四字を以(も)ってかの土に広宣流布し、一国の杖木(じょうもく)等の大難を招きしがごとし。かの二十四字とこの五字と、その語(ことば)ことなりといえども、その意(こころ)これ同じ」とあり、常不軽菩薩が道行く人に述べた先の言葉(経文だと二十四文字)と、大聖人が唱える妙法五字は同じであるとの説示が見えます。

 どうやら大聖人の説示には、堂内にこもったり瞑想したり、あるいは断食等という修行は存在しないようです。街頭に立ち、道行くすべての人に深敬心を持ち「南無妙法蓮華経」のお題目を唱え聞かしめる。この一点に集約されるでしょう。それが正に、教主釈尊がお示し下さった「人の振る舞い」なのです。

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