開目の章 |第27回「価値あること」 by Taiko

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 三位房日行(さんみぼうにちぎょう)上人、日蓮聖人のお弟子の一人です。師に与えられたお手紙を拝読すると、相当な知恵者であり、大聖人も相当な期待をかけておられたようです。

 建治三年(一二七七)の桑ケ谷(くわがやつ)問答(極楽寺良観の庇護を得た天台僧・竜象房との法論)では、四条金吾と同席し、数回の問答のうちに竜象房を論破したことからも、学僧であったことがうかがい知れます。

 そんな三位房が、京都留学中に公家の持仏堂に招かれ、法門を説いたことがありました。三位房はそれについて「面目であり、名誉なこと」と日蓮聖人に報告を致しました。

 すると大聖人は、おほめになるどころか「我が弟子が、仏法の権威を忘れ世俗の権威に溺れ、さらには態度や言語までが公家になびき、京都風になることは不思議なことである。日蓮をさげすむ行為である」と、その言動や修学態度について、激しく叱責し教諭されたのです。

 私たちは、ややもすれば世間の価値に流され、世間の評価を求めます。世間に眼を向けることは大切なことですが、ただいたずらに世間に眼を向けることは、仏法と無縁の世界です。経文の「我即歓喜」とは仏さまが歓ぶ世界のことで、これを忘れて仏法の正義は成り立ちません。世間の評価より、仏さまの評価を重んじるべきでしょう。

 誰よりも世間にひと方ならぬ思いを抱いておられるのは教主釈尊です。その仏さまが歓ばれる行動にこそ価値があり、評価に値するのです。

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