開目の章 |第21回「弟子たちの退転」 by Taiko

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 法華経には、この経を信じ広める者は必ず難に遭(あ)うと予言されています。ですから日蓮聖人は、我が身に火の粉のごとく迫り来る法難を「経文に我が身普合(ふごう)せり。ご勘気(かんき=幕府の弾圧)をかおればいよいよ悦びを増すべし」と述べられたのです。

 ところで、信教の自由が憲法下で保障されている現在では、想像もつかないことかも知れませんが、法難のほこ先が我が身に向けられた時、お弟子やご信者の心境はどれほどのものであったでしょう。

 開宗当初より法難について予見され「強盛(ごうじょう)の菩提心(ぼだいしん)をおこして退転せじと願し」られた大聖人は、お弟子やご信者にも「おのおの我が弟子と名乗らん人々は一人も臆(おく)し思わるべからず。…和党(わとう)ども二陣三陣続きて」と常々ご訓戒(くんかい)されていました。

 ところが「我が弟子等の中にも兼て聴聞(ちょうもん)せしかども、大小の難来たる時は今始めて驚き肝(きも)をけして信心を破りぬ」「弟子等檀那(だんな)等の中に臆病のもの、大体或いはおち、或いは退転の心あり」との事態になり、もはや教団は「千が九百九十九人は堕ち候」という壊滅的状態となりました。

 中には「世間の恐ろしさと申し欲と申し、日蓮を捨つるのみならず敵となり候ぬ」「事のおこりし時、たよりをえて多くの人をおとせしなり」「法華経を捨つるのみならず、かへりて日蓮を教訓して」等と、法華経信仰からの退転・背信、そして師匠である日蓮聖人に敵対するばかりか教訓するお弟子やご信者まで出てきたというのです。

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