いつそば「我聞の章」 |第21話「伝え続ける功徳」 by Shougyo
話

仏さまのこばなし

いつそば「我聞の章」

やさしい法華経物語

ウッキ〜くん

妙ちゃん

グリトラクータ童話

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「ろ〜っこんしょ〜うじょ〜う。ろ〜っこんしょ〜う〜じょ〜う」

 日本全国の「霊場」と呼ばれる山には、そんな登山者のかけ声が響く。この言葉がなまって「どっこいしょ」という言葉が生まれたとか。

 私の名は阿難(あなん)。今日もお釈迦さまの織りなす光と風の世界を旅している。

 ところで、尊きお師匠さまが説かれた法華経修行には、次の五つの方法が挙げられる。

 一つ目は受持(じゅじ)。ああ、有り難い教えだなあと思う気持ち「受」と、その思いをずっと持(たも)ち続ける気持ち「持」のこと。二つ目は読(どく)で、お経の本を見ながら法華経をお唱えする修行。三つ目は誦(じゅ)で、お経文を暗誦してお唱えする修行。四つ目の解説(げせつ)は、あまりに尊い教えなので、しっかりと学んで他の人のために解説して差し上げるという修行。最後の五つ目は書写。法華経の教えが、永い歴史の中で多くの人に伝わって欲しいという願いから、これを書き写すという修行だ。

 そして、一つ目の受持は他の四つすべて通じ、これが無ければどんな修行も役に立たないほど大切だということを、尊きお師匠さまはお教え下さった。

 さて、この五つの修行を一生懸命に行うと、眼=見る・耳=聞く・鼻=嗅ぐ・舌=味わう+語る・身=触覚の働き・意=認識という、人間の六つの感覚器官がすべて清浄になるという。

 さらにお師匠さまがおっしゃるには、六つの器官はただ清浄になるばかりでなく、眼は凡夫の眼のままで八百倍の能力を、耳は千二百倍の能力を、鼻は八百倍、舌は千二百倍、身は八百倍、意は千二百倍の能力を持つというのだ。

 一方、仏教徒として守るべき十の徳目は、次のように配することができるだろう。

 殺さない・盗まない・不純異性交遊を行わないという三つは、身で行う徳行。悪口を言わない・嘘を言わない・誠実さを欠く言葉を口にしない・人と人との関係が悪くなる言葉を口にしないという四つは、口で行う徳行。最後に、よこしまな考え方をしない・欲張った考え方をしない・怒らないという三つは、意で行う徳行。

 これらの徳目を身につけることができるだけでなく、お師匠さまが入滅された後の悪世において、曇りの無い信を心に抱き、正しい言葉で人に法華経を伝えるために、意と舌という二根の功徳が他より勝れているのだろう。

 そして、同じように耳の功徳が勝れているのは、尊きお師匠さまから受持すべき教えを聞く器官であるからに他ならない。教えに対し絶対の信をもって耳をかたむけ、身をもって人にお伝えすることが「受持する」ということなのだ。

妙法蓮華経「法師功徳品第十九」より/つづく)

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