開目の章 |第16回「仏恩を報ぜんがため」 by Taiko

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 一般的に、日蓮聖人の人間性を「独善排他的」ととらえている方も少なくないようです。なるほど大聖人が「法華経でなければならない、諸宗の教えはお釈迦さまの本意ではない」と始終叫び、他宗を厳しく糾(きゅう)した姿勢からはそう映りますね。

 またその矛先は宗教界だけに止まらず、時の権力者や為政者にまで及びましたから、なおのこと「日蓮という人物は、相手を選ばず非難を繰り返す」という印象をお持ちの方もいるかもしれません。

 しかし日蓮聖人とて人の子です。できることなら世間に嫌われず、いかなる難にも遭わずに、一生を過したかったことでしょう。ただ「仏恩(ぶつおん)重きが故に人をはばからず申しぬ」と、お釈迦さまより頂戴した恩を感じれば感じるほど、言わざるを得なかったのです。

 先号お話したように、大聖人はお釈迦さまのお言葉=経典に素直に従われました。お釈迦さまは法華経の中で「真実の教えはただ一つで、二つも三つもあるものではない」さらに「法華経以前に説いた教えは、みな方便の教えであるから捨てる」と宣言されたのです。ですからこのお言葉に従えば、自ずと残るは法華経ただ一つ、他の経典に依る諸宗は批判の対象とならざるを得ません。

 ところで、同じ法華経の中でも難に遭わない布教方法が「安楽行品」で明かされています。しかしそれは、正法(しょうぼう)・像法(ぞうぼう)といわれる時代の方法で、末法(まっぽう)という時代にはそぐわないのです。

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