開目の章 |第6回「龍口法難」 by Taiko

想

小坊主のつぶやき

いつそば「観心の章」

いつそば「開目の章」

自在生活ノススメ

UFO通信

のほほん評判記

 日蓮聖人には、六老僧を代表とする大勢のお弟子やご信者の方々がおられ、僧俗を問わず大聖人のお言葉に耳を傾け「法華経の法門」を学び、生活の指針とされていました。その方たちに与えられたお手紙を拝読すると、法門(教え)には厳しく、寸分の妥協もお許しになっていませんが、情の部分では非常に優しく、暖かで懐(ふところ)の深い大聖人のお姿をうかがい知ることができます。

 そんな日蓮聖人のご生涯を語る時、見落とすことができないのは度重なる法難であり、中でも最大の難といえば、言わずと知れた「龍口法難(りゅうこうほうなん)」です。文永八年九月十二日、松葉ヶ谷(まつばがやつ)のご草庵で捕われの身となった大聖人は「外には遠流(おんる)と聞こへしかども内には頸(くび)を切(きる)べし」と、幕府の処断は「佐渡遠流」であったのですが、大聖人を憎む幕府の要職の人達や鎌倉仏教界の実力者達は、龍の口で暗に首をはねようとしました。つまりは私刑です。

 幸い斬首(ざんしゅ)は適(かな)わず、表向き通り佐渡へ流罪となるのですが、大聖人は「日蓮といいし者は、去年九月十二日子丑(ねうし)の時に頸はねられ」たといわれ、さらに続けて「此は魂魄(こんぱく)佐渡の国にいたりて」と示されました。魂魄とは「たましい」のことですが、換言(かんげん)すれば「生まれ変わった日蓮聖人」ともいえるでしょうか。

 佐渡に来られた日蓮聖人は、もはや一宗一派の開祖ではなく、久遠のお釈迦さまより末法の世に法華経・お題目の信仰を広めることを任された、唯一無二の大導師なのです。

what's newdiscourseseasontalesideadownloadlinkmyoabout "myo"site mapNOEC

HOME

Since 1999, Nichiren-shu Osaka Enlightenment Center. All teachings are opening up.