開目の章 |第28回「信頼関係」 by Taiko

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 身延山の日蓮聖人のもとには、信仰相談、あるいはお供養の品々をお届けするために、鎌倉の地をはじめ故郷である安房小湊(あわこみなと)、遠くは佐渡島からも、大勢のお弟子やご信者が訪ねてこられました。

 特に阿仏房(あぶつぼう)は、大聖人に対する追慕の念から佐渡島より三度も身延山を訪れており、九十歳という老齢を考えると驚嘆に値します。

 阿仏房は九十一歳で亡くなりますが、その子・藤九郎守綱(とうくろうもりつな)が亡き父の遺骨を首にかけて日蓮聖人を訪ね、身延の地に遺骨を埋葬した話は有名です。現在でも、大聖人のご廟所の左側に阿仏房のお墓があります。

 さて、日蓮聖人は、身延山を参詣されたお弟子やご信者に、後日逐一にお礼の書状をしたためられていますが、どのお手紙を拝読しても、大聖人の温かさ、お弟子やご信者との信頼関係を彷彿とさせます。中でも四条金吾(しじょうきんご)にお与えになったお手紙は、一層の温もりを感じさせます。

「事故なく鎌倉に御帰候事、悦(よろこび)いくそばくぞ。余りの覚束(おぼつか)なさに鎌倉より来る者ごとに問候つれば、或人は湯本にて行合せ給と云、或人はこふづ(国府津)にと、或人は鎌倉にと申候しにこそ心落居て候へ」

 このように、身延より鎌倉へ帰る金吾を、親が子を見守るが如くに案じ、身延登詣の人々に彼の消息を尋ねておられるほどでした。

 法門には厳格である一方、人には慈しみ深い日蓮聖人のお姿を垣間見ることができます。

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