UFO通信 |仏になったらどうなるの?(2) by Ufo

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 前回を受ける形でありながら、少々唐突かもしれないが、本宗の法話について考えて見たい。

 素直に感想を言わせてもらえば、どうも両極端に分かれていて、つまりは布教という点に関して言えばあまり効果的でないように思える。

 一方の極端は、別に日蓮宗の坊さんでなくとも、あるいは少し自分以外の事に関心を持つ人なら誰でもが考え至るようなことしか話さない、早い話が坊さんだからこそ聞きたい話ではない、というのがある。

 近頃では、隣近所のワケ知りの老人に代って、色々な評論家がマスメディアを通じてそういう話をしていて、わざわざ寺へ出向かなくともけっこう間に合っているのではなかろうか。テレビなどでは、一人の質問者に対して複数の回答者がアドヴァイスを与え、中には回答者の一人として僧侶も加わっている、というものまである。

 脱線の非難は覚悟の上で書かせて頂くなら、本宗も極く少数でいいから宗門挙げてタレント僧侶を養成し、応援する体制を整えるべきであると思う。法華経と縁を結ぶきっかけ、日蓮大聖人の教えを知ってもらうきっかけは、多い方が良いに決っている。ただし、受け入れ体制も整えなければならないから、ずいぶん難しいことだとは予想されるが。

 かつて、奈良薬師寺の坊さんがテレビで活躍し、写経を拡めたことがある。そのことで写経に親しむ人が増え、その結果薬師寺の伽藍は非常に立派になった。ひるがって本宗ではどうか。追随したのは良いが、及び腰の感は否めない。身延山久遠寺の本堂再建に、写経による浄財がどれほど力になったか定かでない。

 それよりもっと大変な問題がある。「写経と言えば般若心経」という考えが定着してしまったことである。本宗の檀信徒の中にさえそう思い込んでいる人がいて、二〜三年前のことになるが、市民大学講座で尋ねてみたところ、十回・百回の単位で薬師寺に出かけて写経した人もいる始末である。菩提寺に常々参詣なさる方の中にはそういう檀信徒はいない、と思いたいが、一方で菩提寺の行事に行ったことがないような不熱心な人が市民大学講座に参加する、というのも考え難いことではある。

 その時、愚僧は、「般若心経」を写すことは厳密に言えば写経にならないこと、従って「法華経」に説かれている写経の功徳は期待できないこと、かえって間違った教えを拡めるのに手を貸してしまう結果になることを申し上げ、以後「写経は法華経」と考えていただくようにお願いした。

 しかし、これは非常に残念な事実であった。いま少し宗門が檀信徒の動向に敏感であったなら、十回・百回になる前に止めることも出来ただろう。肝心の日蓮大聖人の教えが活かされていない例の一つではないだろうか。

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