UFO通信 |仏になったらどうなるの?(1) by Ufo

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 オウム真理教が起した数々の事件についての報道も、少し鎮静化に向っているようだ。ずいぶん非道なことをしたものだが、いまだに麻原を聖者であると信じている者がいるそうな。彼らの問題も含めて、この事件にまつわる問題が解決されるには、相当な期間を要すると思われるが、世間でよく言われる「なぜそれほどまで信じ込んでしまったのか」について、ほんの少しだけ触れておこう。

 もちろん、「信じる」という心の働きは非常に複雑なものであって、恐らくは人類永遠の問題の一つであろうと思うのだが、少くとも「信じる側」と「信じさせる側」との両面から考えておかなければならない問題であろう。

 「信じる側」については、以前にこの欄を借りて「マインドコントロールされたい症候群」と題する小文に書いたことと基本的に共通していると思うので、今回は「信じさせる側」から少し考えて見たい。結論から言えば、とにかく「わかりやすい」あるいは「わかりやすいと感じさせるものがある」ということになろうか。

 例えば『タターガタ・アビダンマ』の「第一誦品改訂版」によれば、仏教用語の「欲界・色界・無色界」は「愛欲界・形状界・非形状界」となっており、よほどとっつきやい。またその位置付けも「全宇宙の構造」となっており、「わかりやすいと感じさせる」ようにしてある。

 かつて「宇宙」という言葉は一部のマニアだけのものであったが、近頃では誰もが口にする言葉となり、「ビッグバン説」を量子力学的に解説した最先端の宇宙理論の本が、ベストセラーになったりするご時世である。まして「人はどこから来てどこへ行くのか」「何のために生きているのか」を知りたい人々にとって、世界観を形成するために宇宙の空間的構造や時間的推移は気になるところである。それらが示されているとあっては、飛びつくのも当り前であろう。

 仏教学や宗学を修めた諸師の目から見たら噴飯(ふんぱん)ものであろうが、たとえ麻原彰晃による宇宙理論の著書程度でも、若者たちの目を覚ますものであったのだ。(もっとも、見事に引っかかった宗教学者がいたことは、学者も色々だということが分かって、ちょっとしたエピソードといったところだった。)

 在家の方からの要望として、よく聞かされることがある。とにかく「現代語で話してくれ」「日常用語を使ってくれ」というのである。これは難しい。今では死語に等しい仏教用語を使わずに仏教の説明をする、あるいは現代用語に置き換えて説明するのは、ずいぶん努力がいることで、自分の中で消化し切れていないと出来ることではない。

 翻(ひるがえ)って、旧仏教のお坊さん達の話はどうであろうか。これも在家の方達からよく聞き、また拙僧がかつて在家であったころに感じたことであるが、「そこのところをもう少し」と思う間もなく譬(たと)え話に移ってしまう。法説(ほっせつ)・譬説(ひせつ)・因縁説(いんねんせつ)というのがあるが、法説はごく簡単に触れるだけであったり、中にはまったく法説が無くて、いきなり「人生とは〇〇のようなもので……」と譬説だけであったりする。

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