UFO通信 |UFOが飛ぶ(4) by Ufo

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 幸い「オカピ」は発見され一件落着となったが、さて「オカピ」が実在しないものとして、それを証明するにはどうすればいいのか。

 オカピが住むという森林を探査したところで「あなたに発見できなかっただけだ。あなたが森の西の端に居た時、一体誰が森の東の端を調べたのですか?」と反論されればそれまでである。実現できることではないが、大探査隊で蟻の這(は)い出る隙間もないほど詳細に調査したとしても、「どこか洞穴にでも隠れていたのですよ」と言われてしまうのが落ちである。

 つまり、ここに大きなポイントが隠されている。密約説あるいは陰謀説によるUFO実在論者たちの言うことについて、いかに論理矛盾を突こうとも「それは隠されていることですから」とか「そこが秘密の秘密たる由縁です」とか言われてチョン!まことにやるせない仕儀となる。

 肝心要(かんじんかなめ)の事物を秘密にしておいて、自分の言いたいことだけ言い放ち、他人の言うことには耳を傾けず、どんな反論も「秘密」を盾(たて)にして無視してしまう、あるいは押さえ込もうとするという人達は、いつの世にも現われるものだ。その上「その秘密を明かすから」とか「秘密を信ずれば幸福になるから」とか言って、人を集めようとするから困りものである。

 ところで、よく考えてみると、この「秘密」を売り物にする方法は、人を信じさせようとするには両刃(もろは)の剣的なところがあって、それほど巧みなやり方だとは言えない。恐らく多数派にはなり得まい。なぜなら、秘密を明かせば興味が薄れるし、明かさなければ論理矛盾の点は先程書いたように無視したり押さえたりできるとしても、現証については常に示し続けなければならず、疑う者やあきれる者も出て来ることになるからである。

 もう一つ、これは人を集めようという側のことであるが、自らの論理矛盾に目をつぶり続けることで思考停止に陥りやすく、というより「初めに思考停止ありき」というのが実のところであろうが、従って「信ずる者は善、信じない者は悪」という考え方に走りやすくなる。この傲慢(ごうまん)な考え方がいかに実り無いものであるかは、つい先年、二〜三の新興宗教団体が世間を騒がせた問題でも明らかな通りである。

 しかし我が高祖大聖人も、その教義内容の慈悲の広大さを知らぬ人たちからは、同じように「不遜(ふそん)な人物」であると見られているふしがあり、総弘通のためには心に留めておく必要があろう。

 さて、このシリーズ初回の「ざれ唄」の通り、世間は、つまり人の心は揺れ動くものである。もちろん根幹のところではそうそう変るものではないが、枝葉のところでとる行動が決まってしまうことがあるのもまた人間である。

 とすると、個々の社会現象に正しく対応することも必要であろう。少くとも拙僧はそうしたいと思っている。そのために、法華経に説かれている通り、大聖人が教えられている通り、出来る限り広い範囲、出来る限り長い期間を視野に取り込んだ視点というものを身につけたいと思う。

〈H6.2/25初出〉

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