UFO通信 |UFOが飛ぶ(4) by Ufo

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 これまで三回に渡って書いて来たことは「巷間(こうかん=世間)でよく言われるほどには、特に若い人たちの間で言われているほどには、UFOは実在しないのではないか」ということである。ただし愚僧は、初回にも書いた通り「UFOは実在する」と思っているが、テレビ等で見るようなものではなかろうと思っている。

 「UFOをみたよ」

 「私も見たヮ」

 という位の軽い気持ちで対応する若者や、UFOの実在を信ずるというよりは、どこか心の片隅に置いておくことで日常生活がスムーズになる若者たちについては、何も言うつもりはない。だがこれまでも、アメリカやヨーロッパ・日本でUFOの目撃者が現われるたびに、それを否定する議論がなされ、どうも常識的社会では、UFO実在論の旗色は悪いと言わざるを得ない状況である。

 一つには、万人が認め得るような証拠がないことが、その理由として挙げられる。UFOが実在する証拠として挙げられたものについては、いずれも筋の通った反論が可能であったし、特にUFOを呼ぶ実験などは、第三者がいるところで成功したためしがない。つまり、実験による再現性もないということである。

 中には「平和を求めてやって来る宇宙人に対し、敵対する考えの者や、失礼な思いを抱く者がいるから現われなかったのだ」と訳のわからないことを言う者がいたりで信用されない。「お前の信心が足らないから御利益がないのじゃ」と同じ論法であるから、常識ある人々から相手にされないのも当り前である。

 もう一つの理由は、そうした目撃者や証拠提出者の多くが、マスメディアに名前を売るためだったり、金もうけのためだったりで、すっかり信用を無くしてしまったことである。一目で偽造(ぎぞう)と分かる写真や、嘘であることがバレバレの目撃談が非常に多く、マスメディアに採りあげられたのは、まだ多少でも議論の対象になり得る、ほんの氷山の一角に過ぎなかったのである。

 そこで出て来たのが、宇宙人とある国、または機関との密約説や、これまたある国、または機関の陰謀説である。これらの祥細については近年テレビで放映され、それを御覧になられた方も多いと思うので省略するが、こうした説は非常に上手いやり方であると同時に、卑怯なやり方でもある。

 一般的に言って、「あること」と証明するより「無いこと」を証明する方が格段に難しい。かつてアフリカで「オカピ」という動物が発見され、大変な話題になったことがある。原住民の間では常識だったが、当時のヨーロッパの人たちには、原住民の言う「頭はキリン、胴は牛、足はカモシカ」(ひょっとしたら胴と足は逆であったかも……、スミマセン)という珍妙な動物がいるとはとても信じることができず、大きな疑問であったのだ。

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