UFO通信 |UFOが飛ぶ(2) by Ufo

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 我々人間の感覚についてもう少し書いておこう。周知の通り人間の五感というのは不思議なもので、機械も及ばぬほどの精緻(せいち)さを見せるかと思うと、他方では実にいい加減、まったく信頼できないものでもある。

 精密な方では、年季を重ねた職人達の話が色々ある。その中で、愚僧(ぐそう)が直(じか)に見聞きした話を二〜三……。

 十年余り以前に聞いた話であるが、スピンドル等を製造する工場の検査係の方で、愚僧ごときには想像もできない、異常な程に研ぎ澄まされた指先の感覚の持ち主がおられた。当時、赤外線を利用した測定器では、百分の一ミリメートル単位でしか測れないのに、その方の指先は、千分の一ミリメートル単位で真円度等を検知するのだそうだ。

 これも十五年ほど昔のことになるが、自転車のフレームを注文で作ってもらった時のこと、色を「缶ピースのラベルの紺色に」と指定したところ、出来上ってショートピースの箱を傍(かたわ)らに持っていって比べると微妙に違うのである。自転車屋のご主人が言うには、その塗装屋のおじさんに限ってそんなはずはないとのこと。後日、缶ピースを横に並べてみると、これがぴったり同じ色。長年ピースを吸っていながら、缶と箱が同じ紺色だと思い込んでいただけに、ちょっとしたショックであった。聞けば、その塗装屋さんの作業場たるや、六十ワットの裸電球一つ、薄暗いところであるそうな。もう一度驚嘆した次第である。

 色の話が出たついでにもう少し。洋服に使う色はせいぜい数十色なのに、和服になると二百数十色あるそうな。また、日本では虹は七色だがドイツでは五色とか。

 このように、感覚というものは、簡単には表現できないもののようである。五感のうち二感についてだけ例を挙げたが、他の三感についても同じような話はいくらもあって、読者諸氏もよくご存知であろう。

 似た例を集めてみると、人間の感覚というものは、学校の理科の時間に習ったような「感覚器官が一方的に外界からの刺激を受けるだけで知覚される」というようなものでないことだけは確かである。自らの感覚器官の性能を上げようとする意志だけでなく、感じようとする意志や、知識・智恵・性質ないし思想までも無意識のうちに総動員して感じているとしか思えない。

 こう考えてくると、「感じられる物事」と「感じようとする意」とが合った時に初めて感じることができるという仏教の考え方の方が、学校で習ったような自然科学の考え方よりよほど現実に近く、現実をよりよく説明し得ているように思うが、いかがであろうか。

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