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 日本では平家物語の影響からか、この言葉はややもすると「無常」が「無情」の意味になっていて、いたずらに人生の枯衰(こすい)を嘆く場合に用いられる例が多いようである。たしかに「老死」は、我々凡夫にとっては無情に思われる。しかしこれは致し方のないことであろう。

 枯衰について言えば、多くは「これで頂点を極めた」と増長慢(ぞうじょうまん)に陥(おちい)るとか、「この安穏な状態が永遠に続いて欲しい」とか、むしろ変化を拒否するところから堕落や枯衰が始まるのである。こんなことは、歴史をひもとく、などと大袈裟(おおげさ)なことをせずとも、少し注意深くまわりを見ればわかることである。

 つまりは、外的環境の変化や内部事情の変化に対応しきれない、硬直(こうちょく)した姿勢がよくないのであって、またこれは「より広い視野」「より深い洞察」の邪魔になる。

 さて、こう考えてくると、自ずから結論が見えてくるように思われる。我々は「世の中の変化に追従する」というような消極的・非生産的な態度をとるべきではなく、浄土建設のため意識的・積極的に我々自身を、我々が属している組織・社会を、さらに言えば宇宙を変化させるべきなのである。ましてや伝統に固執するなどは論外である。

 ただし、伝統を一切無視して良いというのではない。これまた論外の硬直した姿勢である。「真の改革は伝統の中からしか生まれない」というのは真実であって、伝統を無視した、ちょっとした思いつきでうまく行くほど世の中甘くはない。このことは、ある伝統がなぜ伝統になったのかを考えればすぐにわかることである。

 先に我々の記憶、つまり「過去が我々の未来を作る」と書いたが、伝統の問題とも関連がある。過去の時間軸が長ければ長いほど、未来の時間軸も延びるから、直接・間接の体験が長いほど、つまり知識が多いほど、未来を正確に見通すことができる。もちろん、より幅広い知識も必要である。

 ただし、これには反論が予想される。「いわゆる直感や霊感があるではないか。これには必ずしも多量の知識は必要でなかろう」と……。

 作家の安部公房氏によると「直感とは意識されざる論理的思考である」そうだ。直感のすべてがそうだとは拙僧も思わないが、中にはそうだと思われるものもある。ふと何の気なしに言ったことが的を射た時など、後になって自分の知識の範囲内で理詰めに考えても、同じ結論に帰着した例が少なからずある。唯物論者であるパブロフ(条件反射理論で有名)の弟子を自認する阿部氏の言うことが、すべて間違っているとも断定できないのである。

 とすれば、神通力を持たない我々凡夫は、伝統や歴史から、より広く深い知識を得るように努める方がよい。神通力を得るために厳しい修行をしても、必ずそれが得られるとは限らないし、得られたとしても本仏釈尊や日蓮大聖人に満足していただけるほどのものである、という保証もないから。

 ここで重複の謗(そし)りを覚悟であえて書くが、知識を得る努力をしている時も、それを用いる時も、常に忘れてはならないのは、我々の住む娑婆世界を常寂光土(じょうじゃっこうど)に変えるという基本姿勢である。年頭にあたって、自らの戒めとしたい。

H5.1/1初出〉

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