UFO通信 |理性が危ない(1) by Ufo

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 釈尊(しゃくそん)は極く初期の段階で、偏った極端な見方や考え方を禁じておられる。なぜかと言えば、極端なものの見方・考え方は、世の現実や宇宙の様態をよく説明することもできないし、苦悩を除き幸福に通ずる道でもないからである。

 ところで、先に「およそ一辺倒にはなれそうもない」と書いたが、これには注釈が必要であろう。世の中の動きを見ても、個人の言動を見ても、一辺倒になっているように見える事例はいくらもある。が、これは見えるところだけを見るからそう見えるのであって、逆に言えば、我々凡夫には限られた範囲のことしか見ることができない、ということである。更に問題なのは、我々凡夫にはその見える範囲のことしか、意志的には実践できない、ということである。

 ところが、こんなことには早くから気付いている人は何人もいて、意識し得ない心の働きを探ろうとする試みは様々になされている。夢判断や、ある種の占い、祭りの仮装(変身願望)、瞑想(めいそう)法、近くは精神分析や心理療法など……。

 この中で仮装については、少し説明が必要かと思うので書いておく。仮装については現実逃避の一手段として、つまり日常生活では考えられないような強大な存在、例えばスーパーマンや仮面ライダーとか、何の苦悩もないように見える存在、例えば鳥や獣、女性(これは「強大な存在」と言う方が当っているかも……)になって、現実の苦悩から逃れるのだという説明が多かったように思う。まこと理性時代に相応しい説明の仕方で、要するに現実の苦悩を理性的に努力で解決できない、弱い人間のすることであるということなのであろう。

 しかし弱い人間である愚僧(ぐそう)に言わせてもらえば、それはそうかも知れないが、日頃は意識できないでいる心の働きを探る試みを、別の存在になることでしているようにも考えることができる。もしこれが当っているなら、いい年をして女装趣味のあるオジさんのことを、あながちに嘲笑(あざわら)うわけにもいかないことになるが……。(愚僧もいい年をしたオジさんになりつつ、あるいは既になってしまっておりますが、女装趣味はございません、念のため)

 さて瞑想法になると、これまた古今東西種々雑多であるが、理論体系としても実践法としても、中で最も整備されているのは天台大師の「摩訶止観(まかしかん)」であろう。

 さて、こうした様々な試みを通して得られた心の働きを、全て意識できない部分まで含めて記述するとなると、非常に難しい。

 尻切れトンボになってしまいましたが、与えられた紙数も尽きましたので、以下は次回ということにします。(つづく)

H4.9/25初出〉

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