UFO通信 |議論を偽論で終わらせないために(2) by Ufo

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 前回は、会議の場においては重要用語の定義をする必要があることを書いた。今回は論理の展開について書いて見たいと思う。

 議論というものの内、最も議論らしい議論というのは、情報や知識を存分に活用し、『論理』によってそれらを整理しつつ、問題の最良の解決策・方法を探っていくものであろう。だからある意味で『智恵』に当ると思われる『論理』が杜撰(ずさん)であれば、最良の解決策を見出すことが不可能になることも考えられる。

 この点で時々見受けるのに「一本道の論理展開」しかしない、というのがある。このやり方は『原因』と『結果』の関係が一対一になり、物事が非常に簡明な形で表わされるので、まことに心地良く思えるらしい。

 だが、このやり方には欠点が三つある。

 一つは以前にも書いたと思うが、偏見に陥(おちい)りやすいことであり、二つ目は悪果を招いた原因と思われるものを除去・改良しても、良果を得る可能性が少ないことであり、三つ目は結果予測が外れやすいことである。

 これらの理由については、くだくだしく説明する要はないと思うので省くが、とにかく極く限定された範囲でのことならいざ知らず、我々の身の回りには、原因も結果も唯一つしかないというようなことは殆どない。にもかかわらず、ある事の原因がただ一つであると思い込んでしまう例は、けっこう多い。

 一本道の論理展開しかできないから原因はただ一つと思うのか、最初から原因がただ一つしかないと思い込んでいるから一本道の論理展開しかしないのか、恐らくその両方なのだろう。これではその事が望ましくないからといって、唯一の考えられる原因を取り除いたところで、結果として上手くいかないことも当然考えられる。というか、むしろその方が多いだろう。

 我々の心の働きというものは非常に複雑なもので、その心の働きが事の進展に大いに関わりがある以上、事の成行きも複雑になるのはあたりまえである。従って原因から結果に到る過程も複雑多岐(たき)に渡り、予測される結果も通常は複数個になる。

 結果的には、どれか一つになってしまうこともあるかも知れないが、その場合でも一本道の論理展開により、初めに結果を一つしか想定していなければ、予想が外れる可能性は大きいと言わねばならない。

 だからこそ、因果関係を「原因」と「結果」だけで表わすのではなく、「因」「縁」「果」「報」の四語で表わされたのであろう。ここで「因」と「縁」は「原因」に当り、「果」と「報」が「結果」に配当されるのは御存知の通りであるが、筆者がこれまで見聞きしたところでは、あたかも「果」と「報」の間に、更に因果関係があるかのような説明が多く、そのことに何か落ち着きの悪さを感じていたので、以下のように解釈することにしている。

 つまり「因縁」は「原因」が複数であることを表わし、さて「因々」でもなく、「縁々」でもないのは「因」は主観的原因を、「縁」は客観的原因を表わしており、この主客両方で成立っていることをも表わしている。「果報」も同様に「結果」が複数であることを表わし、「果」が客観的結果、「報」が主観的結果を表わしており、更に……、というものである。この解釈は手前勝手なものなので、大方の御叱りを受けることであろうが、「因」と「縁」の間には特に因果関係があるわけでもないのに、「果」と「報」の間に因果関係があるかのような説明よりは、少なくとも筆者にはすっきりしているように思える。御教示を願う次第である。

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