UFO通信 |偏差値も冷静に見てみると…… by Ufo

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 学習塾帰りの小学生が、夜遅く電車でおしゃべりしている姿を見かけるようになったのは、何年位前からのことだろう。学習塾ブーム、予備校ブームと言われて久しい。

 それと同時に、「偏差値」に頼りすぎることに対する誡(いまし)めも、種々に言われている。いわく、偏差値は実力を正確に反映していない。いわく、感性の豊かさや、感覚の鋭敏さを表わさない。いわく、人間性までは判らない等々。

 どれももっともな意見である、しかし世の中の流れというものには抗(こう)し難い、というのが通り相場であろう。世の中様々と言おうか、或いはホンネとタテマエの違いと言うのか、偏差値についても色々な考え方があるようで面白い。

 「偏差値」という言葉が一般化する前には、「学歴社会」という言葉が極く普通に使われており、社会で出身校による選別が、他の要素、特に実力による選別より優先されていることに対する批判が強かった。

 当時、拙僧は、その批判はもっともであるが、世の中の流れはその批判のようには動いていないことに疑問を感じ、ある経営者に、なぜ企業の経営者達が一流大学の卒業生をほしがるのか質問してみたことがある。

 答えは「仕事がどれだけ出来るか、人間性はどうか、というようなことが、履歴書やら簡単な面接で判らないのは、どこの出身者についても同じことです。けれども、東大・京大の出身者は、厳しい受験戦争を突破したという実績があって、それには大変な集中力が必要です。東大・京大の出身者には少なくともその集中力があることは保証されています。私はその集中力だけでも欲しいですネ」というようなものであった。

 補足すれば、集中の度合いが優れていて、持続させ得る人物が欲しい、ということであろう。つまりは、色んな批判をよそに学歴社会がまかり通る根拠があった、ということになろうか。

 これは又最近の、つまり偏差値社会の危険が叫ばれ始めてからのことであるが、ある企業コンサルタントに聞いてみたところ、「仕事の実力は、出身校の入試の偏差値にピッタリ一致している」とのたもうた。

 これには問題が少なくとも二つある。一つは、仕事も人間のする事であるから、心の働きすべてを動員してのことであろうから、論理あるいは理性だけで成り立っているものでもないし、感性や感覚、或いは感情だけで成立っているものでもない。

 しかも、会社組織の中での仕事となれば、論理を働かせなければならない部分が、かなり多いと思われる。

 つまり、全国の大学の入試の難易度だけを表わしていると見えている偏差値が、実は集中力を含めて論理の働かせ方いかんを表示しているのかもしれない、ということである。

 マスコミなどが感性感性と叫び、この頃だと右脳の直感的、全体的把握などと叫び出すと、我々はつい社会の全てがそれで動いているような錯覚に陥りがちであるが、落ちついて考えて見ると、現実にはそうでないことが良くわかる。

 画家や音楽家といえども、感性や感覚だけで、彼らの仕事が成立っているわけではないのである。ましてや詩人や作家ともなれば・・・。

 もし、論理性を全く捨てている芸術家がいるとしても、恐らく多くの人を感動させるのは不可能であろう。このことは、一流と言われる芸術家の言葉を聴き、書いたものを読めばよくわかることである。

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