UFO通信 |将来も起きる湾岸戦争 by Ufo

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 そして一番問題になるのが、これら三教の異教徒に対する態度であろう。旧約聖書には、神が自分を信じない者、つまり異教徒を、崇(あが)めたてまつらないからと言って滅亡させる場面がいくつか出て来る。信者にして見れば、極端な場合、異教徒を殺すことは神の意志を実現する為の崇高(すうこう)な行為ということになる。

 現実には、異教徒を捜し出して殺してまわるなどということは滅多に起ることではないが……。

 話はかわるが、拙僧(せっそう)も時々こういう質問、非難を受ける。「宗教が宗教の名において人殺しをしたり、戦争を起こしたりするのはなぜか」或は「……だから嫌いだ」と。特に戦後に教育を受けた人に多く見られるようである。

 戦後の教育、特に歴史学など殆ど全面的にと言って良い程マルクス主義の影響を受けて、宗教を非難する色あいが濃いので、致し方ないのかも知れないが、「ちょっと待ってんか」と言いたくなる。

 やれ十字軍だの、やれ宗教戦争だのと西欧では色々あったのかも知れないが、少なくとも仏教徒が佛教の名において戦争を起したことはない。中国やチベットの仏教徒が、タイやビルマ、セイロン島(現在のスリランカ)の仏教徒が、釈尊の聖地をヒンズー教徒の手から取り返すのだ、と言ってインドに攻めこんだ、などということはない。少なくとも拙僧は知らない。

 「宗教」ということで、何もかも一緒くたにしてしまい、キリスト教徒の起した戦争の責任を仏教徒に取れ、というのは筋違いと言うものであろう。これまでの世界の歴史の中で、宗教の(或は信仰の)名において戦争をしかけたのは、ユダヤ教と、その流れをくむ宗教の信者だけだと言っても良いぐらいなのである。

 もうお判り頂けたと思うが、先に書いた三教の思想の根底の一つに「闘争」というものがある限り、その信者達は、意識的か、無意識的かは問わず、「闘争」を離れることは出来ない。或は非常に難しかろう。

 いいかえれば、この世にユダヤ教、キリスト教、イスラム教が存する限り、戦争はなくならないだろうということである。

 ことのついでに言えば、マルクスの思想もユダヤ、キリスト教の思想を受け継いでおり、マルキストの戦争好きもおわかりいただけるものと思う。何しろ「階級闘争」を人間社会の根底に据(す)えているほどだ。

 三教の信者やマルキストにとっては異教徒は神の敵であるから、当然自分達の敵であり、喜捨も自宗の内に止まることが多く釈尊(しゃくそん)の「願以此功徳普及於一切(願わくは此の功徳をもって普く一切に及ぼし」という考え方はない。

 世界平和は、仏教の平和主義、一切平等の立場に立った立正安国でなければ、実現しない。

H3.2/26初出〉

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