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 では、適確な判断と処理の為の条件は、と考えてみると、これがかなりいわゆる知識の多少に左右される。判断材料としての「知識」が多い程、確度は増す。「知識」が少なければ必ず判断を誤るかと言えば、勿論そんなことはないが、決定的な「知識」がなかった為に判断を誤るということはよくあることである。「知識」を多く貯えることは、「悪いことではない」どころか、是非とも必要なことだ。更に言えば、知識としての「判断のし方」や「処理のし方」についても、沢山身につけている方が有利であることも確かである。

 物事を分けて整理し考えることが悪いと言っているのではない。時と場合によっては必要でもあるし、非常に有力な手段でもある。人類を人類たらしめている由縁の一つであるとさえ思っている。ただ、二分法は杜撰(ずさん)に過ぎる。境界のどちらにあるのか分からないことが多すぎる。分けるのが目的であるのに分けられない、というのでは何の為に始めた作業なのか分けが分からなくなる。

 そこで考え出されたのが、この二分法を重ねるやり方だろう。陽―天―男―積極的と陰―地―女―消極的とか、善―愛―精神と悪―性―肉体とかだ。これらに少し説明をくわえるだけで「なるほど」と感心される向きも多いのではないか。しかし、このやり方は更に始末が悪い。単純な二分法でさえ境界があいまいなのに、重ねることによって境界があっちこっちしてよけいに分けが分からなくなる。

 問題を単純化する為に二段重ねのものを例にとって見る。一つ一つの二分法で、仮に境界線がはっきりしているものとする。実際には無いのだが・・・。当り障りのないところで、楽観的と悲観的・積極的と消極的をとってみると、楽観的―積極的、楽観的―消極的、悲観的―積極的、悲観的―消極的の四つの分類が考えられるが、楽観的―積極的、悲観的―消極的の二つの分類しかないと考えてしまうと、その場の都合で、どちらかの境界線を動かしてしまうことになりかねない。「あの人は積極的なのだから、悲観的でない筈だ」と言って、楽観的な考え方の人にしてしまう、というように。

 より広範囲の物事を説明する為に、より境界線をはっきりさせる為にしていることなのに、これでは角を矯(た)めて牛を殺す結果になってしまう。それぞれの二分法の境界線がはっきりしていると仮定してさえ、この有様である。試みに前の四つの分類の境界線があいまいだとすると、どんな結果になるか考えようとしたが、とても拙僧の手にはおえない。ましてや三段、四段それ以上ということになると投げ出すしか仕方ない。

 では、何故、このような二分法の積み重ねがウケルのだろう。先月、無いチエを搾(しぼ)ってしまったので、わずかに残ったのを再度搾ってみた。初めに書いたように、解ったような気分になれること、従って思考停止できること、の二つであろう。単純に割り切れると見えて、実は手におえない程に複雑だということになれば、誰もそれ以上複雑とは思うまい。割切れたつもりになって、考えるのを止めるほうが気が楽だ。アッ、そうかそれを勧める手ェやったのか。キマジメに考えたほうがドアホやったというわけかいナ、ヤレヤレ……。

H2.7/20初出〉

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