UFO通信 |衣食足りて礼節を知ったか by Ufo

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 では「衣食足りても礼節を知らない」我々が“一杯の掛けそば”をした理由は何だろう。

 少々言いにくい事だが、我々の心の中に、あの親子の貧しさに同情することで我々の現在の衣食の足り具合を確認し、安心していた部分があるのではないだろうか。エスニックブーム(エスニック料理ブームでもあった)に始まるグルメブームに狂奔(きょうほん)する我々、上は中国の皇帝料理、御隣韓国の王朝料理、月に一回どこそこのホテルで豪華なフランス料理フルコースで晩餐会(勿論ベンツかジャガーでオデカケ!)から、下は週に一回ファミリーレストランでの(?)、な御食事にうつつを抜かす我々の心の底に、無意識のうちに一杯の掛けそばをやかに三人で分けて食べる親子の姿に快感を覚えていた部分があったのではないか。

 「人間と言うものは優越感を持ちたがる生き物だ」とよく言われる。(恐らく人間に限らないのであろうが。)隣がコロナを買えば自分はクラウン「隣の車が小さく見えまぁす」。隣が二十四インチテレビを買えば三十インチ、ついでに「隣のテレビも小さく見えまぁす」。他人の花が赤く見え、隣りの芝生がより青く見えるのは、この裏返しであり、非道くなると他人をめることにより満足感を得るという邪道に陥ることになる。あちらこちらで、他人の欠点と言えないような事でもいかにも短所であるかのように言いなし吹聴してまわる人がいる。彼の三島由紀夫は「本人のいないところで悪口を言う程楽しい事はない」と喝破(かっぱ)している。蓋(けだ)し名言と言うべきか。又あちらのレストランの味も駄目、こちらのも本物でないと批評する人がいる。誰かがほめていれば、確実に自分の方が舌の感覚がすぐれていると思わせることができるものと錯覚しているらしい。

 グルメの話が出たついでに言えば、人肉又は食人習慣の話題は、我々の心を異様に立てると言うか乱す。遠くは「カチン族の首籠」なる本がベストセラーになり、近くはアンデス山中に不時着した飛行機の乗客の話は全世界を駆け巡り、ブラックユーモア小説に於ては何時にかわらぬモチーフである。熱心な法華経信者として有名な宮沢賢治にもこのモチーフの作品がある。このように「食人」が我々の心を強く惹きつけ平静でいられなくするのは、我々人類にとって最も強いタブーの一つだからであろう。さてこそ人類学者達も一時期競ってこれを問題にしたのであろう。

 しかし一方でこういう論もある。ある文化人類学者によると、これら一連の食人習慣を扱った報告書では、報告者、つまり文化人類学者などが、直接食人場面に立ち会ったものは一つもなく、その直接証拠となるものを詳査した研究報告書も全く無いそうだ。それらは全て隣の部落、隣の部族からの聞き書きに過ぎず、報告者が食人習慣のあるという部落・部族に当って見ても否定され、証拠も入手できずに引退ってくるだけらしい。そこでこの学者が抽出した結論はこうである。

 A部族は、B部族より全ゆる面で上位・高級たらんとしている。勿論B部族も同様に努力している。が、上に昇るのは限界があるし、多少差をつけ得たにしろ、すぐに真似られてしまう、となると今度は隣を貶(おとし)めることを考えることになり、隣の連中は云々と言う伝承が出来上る。そこに文化程度の高い白人学者が入り調査を開始すると、自分達の文化の高さを印象づける為に隣の低さを強調し、これらの伝承が話される。A部族の所へ入ろうがBであろうが最初に入った方で同じ事を聞かされることになるというのである。報告者達はこのサンプルに飛びつき、報告書の読者も亦飛びつく。両者とも自分達より文化程度の遥かに低い奴がいる事に満足して……。

 もし、これが正しいとすると、心の動き方という点では、学者も、未開とされる部族達も、勿論我々も何ら区別はない。我々の心は、己れの賤(いや)しい様態を、弱者に対する同情という形で実に上手くカモフラージュして見せるものだ。反省せねばならぬ。

H1.6/26初出〉

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