UFO通信 |衣食足りて礼節を知ったか by Ufo

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 「一杯の掛けそば」については、テレビや週刊誌、果ては国会の委員会質問にまで美談として取りあげられ、瞬(またた)く間に全国知らぬ者とてない有様となった経緯については、誰もが知っていることなので省くが、この現象は、一体どう考えればいいのだろう。

 リクルート問題、女子高生コンクリート詰め殺人事件など人心が荒廃する中、衣食足りて礼節を知るはずが、必らずしもそうはならない苛立(いらだ)ちが世間に蔓延(まんえん)する中、こうした情況に心を痛めつつ少しでも明るい心の和むニュース・話題を期待していた多くの人達にとっては、一服の清涼剤を含んだ心地でもしたのであろうか。とすれば、日本も随分礼節を知る人が多くなったと言うことであり、御同慶の至りである。つまり、戦後の混乱と飢餓状態の中で、今日の飯・明日のパンの為には手段を選ばずといった風潮に流され、それが当然、或いはより効果的に他人を出抜く手段を考案した者が良しとされる様な時期を経て、正に奇蹟的な経済復興を為遂げ、世界中でも一級の豊かな暮らしが送れるようになった我々日本人が礼節を知る国民となり、少数の心なき者の目立つ行為を憂(うれ)える人達が、あの童話を歓迎した、という事になる。

 果たして本当にそうだろうか。どうも筆者には、そうは思えないのである。「衣食足りて礼節を知る」というのは「衣食が足るようになれば、礼節をわきまえるようになる」という意味ではなく「衣食が足るようになれば、礼節をわきまえるようにならなければならない」ととる方が事実に近いのではないかと思えるのである。

 リクルート問題で言えば、名前の挙げられた政治家達は、大概は既に十二分に裕福な人達であり、八つ当り気味に言うなら、教育勅語や修身(しゅうしん)についてもよく御存知のはずの人達なのである。もう少しシャキッとしてほしい、と誰しも思っていようが、どっこい他方では、彼らの不始末の責任は我々の責任であるのが民主主義の原則であることを忘れてはいけない。何かと言えばすぐ「選挙には金が掛るから」とのたもうような連中しか国会に送れなかった我々がナサケナイのだ。

 主権在民とは、時の為政者の首をすげ替える権利だけを言うのではない。ヤタラな連中の仕出かした事を我々が跡始末せねばならないことを肝に銘じておかなければならない。もっと言うなら、政治家や役人が何をしようとするのか、その意図を常に知っておく必要がある。民主主義は、責任を民衆に分散させる機構でもあるのだから、民衆即ち政治の素人にとっては本来シンドイものなのである。

 しかし高邁(こうまい)な政治理念や政治哲学など必要でない。ほんの少しそれも次元の低いものでよい、道徳心があれば事足りる問題なのだ。もう御理解戴けたと思うが、選ぶ側も選ばれる側にも礼節などこれっぽっちも無かったということだ。

 自分達の住む地域の道路が良くなるから、橋が架かるから、駅前の再開発が行われるから、ニュータウンが出来るから等々、つまりは、土木・建設業者を初めとする種々の企業が儲かり、地元が潤おうからと言って、県なり国なりの補助を分捕ってくる者を選び、儲けの一部は賄賂(わいろ)となり……。

 何のことはない「今日の飯・明日のパンの為に」が「隣の県の連中より大金を稼ぐ為に」「ライヴァル企業を出し抜く為に」に替わっただけのことではないか。まだ「今日の飯・明日のパンの為に」の方が可愛気があると言ったら言い過ぎか、決してそうではあるまい。戦後の混乱期よりもい。「衣食足りて礼節を知る」と言うのは「衣食足って礼節を知らないのは最も恥ずべきことだ」と言う意味でもあるのだから。

 若者達の礼儀知らずについては、教えるべき大人が礼節をわきまえていないのだから当然の結果というものだ。外に現われた四悪道をってみても大した実りは得られまい。大人が礼節をわきまえれば、自然に彼らも礼儀正しくなろうし、嫌な犯罪も少なくなるだろう。むしろ礼節をわきまえ、心やさしい若者がいれば、大人の方で見習うべきであろう。

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