観心の章 |最終回「いだかれて生きる」 by Ryue

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 法華経の中心となる教えが説かれた寿量品では、お釈迦さまが永遠のいのちをもってこの世に存在する事実が明らかにされました。すなわち、真理を覚る智恵が久遠の昔より完成された仏さまなのです。

 一方、私たちの心の中には、自分で気づかなくても「十界」があり、地獄の世界もあれば仏の世界も持ってます。そして、どの世界が心に表れていても、その奥には必ず仏界を具えており、だからこそお釈迦さま同様に仏になれる性質「仏性(ぶっしょう)」を本来持っていると言えます。

 しかし、私たちの方が久遠本仏の大いなるいのちの中にとりこまれ、常に導かれていることに気づかなければ、仏になることはできません。生きとし生けるものすべての生命は、仏さまの大慈悲によって抱きとめられています。私たちはみなお釈迦さまの子供であり、仏になる種を宿した仏子(ぶっし)なのです。

 そして、仏の種が芽を出すには、人へのはたらきかけが必要です。常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)の礼拝に徹した菩薩行は、単に人々の心の中に仏性という可能性を見ていたのではなく、相手に仏の身そのものを見ていたからに他なりません。そうして相手が仏子として目覚め、父であるお釈迦さま同様に仏のはたらきを起こして下さるよう礼拝するのです。

 私たちは、いつどこにいても久遠本仏の慈悲の光に包まれて生きています。その光明に照らされて、あらゆるものはあるがままの姿で尊く、皆が仏として輝きを放つのことができるのです。

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