伝言ゲームを体験した人はいるだろうか。一人目が短い文章を覚え、次の人、次の人へと耳打ちで伝えていき、最後の人にどれくらい正確に伝わったかを競うというものだ。
私の名は阿難(あなん)。今日もお釈迦さまの織りなす光と風の世界を旅している。
さて、伝言ゲームの場合だと、人から人へと伝えられる内に、その内容が少しずつ損なわれていくところに妙味があると言えるだろう。
一方、尊きお師匠さまは、教えが人から人へと伝えられ、五十番目にそれを聞いた人の功徳(くどく)でも、どれほど大きいかをお説きになった。
お師匠さまの寿命は無量であり、今までも、そしてこれからも私たちのそばにいて下さる。そのことを聞いて素直に喜び、真っ直ぐな心で伝えていく時、五十番目の人がそれを聞いた時の功徳でも、計り知れないほど大きいとおっしゃった。
伝言ゲームを例にとれば、最初と最後ではずいぶんと有り難みが違ってくると考えるのが普通だろう。しかし、伝えたいと願う真っ直ぐな心持ちがある時、喜びと感動は必ず伝わっていくものなのだ。
煩悩(ぼんのう)にまみれたこの身このままの肉体を捨てること無く、人間は成仏できる。お師匠さまは、そうお説き下さった。成仏とは死んでから得るものではなく、お師匠さまと同じ価値観、同じ行動基準を持って生きることで、それが「即身成仏」という教えだ。お師匠さまは、皆がそうなるための飲み薬を、法華経の中で調合して下さったのだ。
また、お師匠さまはこうもお教え下さった。
「いつも私はこの娑婆世界で、目には見えなくてもお前たちのそばにいる。だからこの世界が仏の浄土そのものであり、西方極楽浄土や東方浄瑠璃世界(とうほうじょうるりせかい)に浄土を求める必要はないのだよ」
これが「娑婆即寂光(しゃばそくじゃっこう)」という教えだ。
煩悩にまみれたこの身が、お師匠さまから頂く薬によってそのまま成仏する。そして、いま私たちが住んでいるこの世界は、そのまま仏の浄土である。
尊きお師匠さまは、これらの教えを真っ直ぐな心で受け止め、喜びと感動をもって人にも伝えよとお示し下さったのだ。
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