いつそば「我聞の章」 |第17話「量り知れないもの」 by Shougyo
話

仏さまのこばなし

いつそば「我聞の章」

やさしい法華経物語

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妙ちゃん

グリトラクータ童話

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 一・十・百・千・万・億・兆・京。ここまでは、新聞の経済面でも目にする数字の位だろう。そして、京の次は垓(がい)・杼(じょ)・穣(じょう)・溝(こう)・澗(かん)・正(せい)・載(さい)・極(ごく)・恒河沙(ごうがしゃ)・阿僧祗(あそうぎ)・那由他(なゆた)・不可思議(ふかしぎ)と続き、最後は無量大数(むりょうたいすう)となる。

 例えば一恒河沙ならゼロが五十二個付き、さらにその六万倍なら六のあとにゼロが五十六個。そう、一恒河沙の六万倍、つまり六万恒河沙という数の菩薩さまが、あのとき眼の前に現れたのだ。

 私の名は阿難(あなん)。今日も時空を超えて、お釈迦さまが織りなす光と風の世界を旅している。

 初めは八恒河沙の数の菩薩さまが尊きお師匠さまに向かい、この娑婆世界で法華経を広める誓いをお立てになった。しかし、お師匠さまはこう申された。

「おやめなさい、善男子(ぜんなんし)よ。そなた達がこの経を護り広めるのを許すわけにはいかない」

 こうして彼らの申し出を退けられると、突然大地の中から六万恒河沙という気の遠くなる数の、しかもお師匠さま以上にお歳を召したお姿の菩薩さま方が姿を現された。この不思議な出来事こそ、尊きお師匠さまが驚くべき真実を明かされる、壮大な物語の序曲だったのだ。

 この六万恒河沙もの菩薩さまが、どのような理由で大地より涌(わ)き出(いで)、法華経説法の場へとお出ましになったのか。さらに不思議だったのは、中でもリーダーである四人の菩薩方による、お師匠さまへのご挨拶のお言葉だった。

「世尊よ。病いや悩み少なくして、安楽に法をお説きになっておられるでしょうか。法を受ける者たちは素直に耳をかたむけ、世尊の手をわずらわせたりしておりませんか?」

 何と、これら大勢の年老いた菩薩方は、皆お師匠さまのお弟子だったのである。しかし、その場にいた者は一様にこう思っていた。いくら尊きお師匠さまであっても、三十歳で悟りを開かれてから今まで四十年余りの間に、誰にも気づかれず、このような数え切れない程のお弟子さまをお導きになることなど到底不可能であると……。

 その時、慈悲深い弥勒菩薩さまがお師匠さまの前に進み出て、皆の疑問を代表してお尋ね下さった。

「世尊よ。どうかここにいる者たちが、疑いの心より悪道へ堕ちることのないようお説き下さい。あれほどの数えきれない数の菩薩方を、どのようにして短い年月の間にお育てになったのかを」

妙法蓮華経「従地涌出品第十五」より/つづく)

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