UFO通信 |カラスが道具を……(2) by Ufo

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 この分離・区別が出発点となって科学が発展した、というのは言い過ぎだろうか?

 科学を発明・発展させた西欧の人達はそれほど意識していなかったのだろうが、つまり彼らがひたすら真剣に知識を求めたつもりであっても、すでに出来上がったものを受け取った日本人には、「サイエンス」とは「分ける学問」と見えたようである。もちろんそれまでの、つまり江戸時代の日本の学問に「科目」や「分類」という考え方が無かったわけではない。だが、まるで異なるものと映ったのであろう、本来は知識や学問(一般)を意味する「science」に「科学」という訳語を使った。科とは「科目」の科であり、「分けたもの」の意味合いが強い。

 他方、例えば仏教の場合はどうであろうか?仏典を読んでも、その解説書を読んでも、頻繁に出てくる言葉にご存知の「法」がある。この言葉は実に多様な意味を持ち、「事物の底にある法則」とでも解釈できるような意味から、「事物そのもの」をも意味している。「四諦(したい)の法」といった時の法は前者の意味であるし、「諸法の実相」の法は事物・現象の意味である。これらが同じ言葉で表されることは、西洋の学問では考えられないことだ。

 しかしインド人や中国人、もちろん日本人も含め、仏教やヒンドゥー教などの影響を受けた東アジアの人々は、平気でこの言葉を使っている。「法則」と「現象」を区別する必要がないのか、あるいはその区別は不当だと考えているのだろう。

 ダーウィンが「人間が高等である」と証明したかったのかどうか知らないが、少なくとも分類学が出発点の一つであるし、「進化論」が発表されるやたちまち「社会進化論」や「宗教進化論」などがはびこり、自分たちが最も優れていることを証明しようと躍起になった。もちろん、一神教が最高等の宗教であると結論付けている。色々相違点を見つけては区別し、順序をつけるのが彼らのやり方なのだ。もっとも欧米の宗教学者たちも、現今はさすがにそんなことを言っておれず、相対的な見方になってきているようである。

 一方日本では、明治になって西欧の文物がどっと入って来た。当時は、日本の伝統的な文物を守るため万事西欧かぶれすることを良しとしなかった勢力に対し、「和魂洋才」といって、伝統的な価値観を保ちつつ西欧の優れた技術を導入するのだと主張していたが、どうも理想とはズレがあったように思われる。技術というものは、思想と切り離せるものではなさそうなのだ。

 それが証拠に、産業革命を支えた技術の内いくつかは古代中国が起源である。中国ではそれらの技術を洗練して産業革命に活かそうとはしなかったのに対し、西欧はさらには諸外国を、これまた中国起源の殺人兵器を伴って蹂躙(じゅうりん)した。技術の洗練には経済的な基盤も必要であることは論を待たないが、中国の皇帝がその気になれば簡単に実現できたはずである。思想信条の違いが大きいと考えざるを得ない。

 我々日本人は「技術を思想信条と切り離して受け入れることができる」と思い込んできたところがあるが、どうやら技術と共に思想信条をも、意識してはいなかったかも知れないが、受け入れてしまったようである。もちろん、民主主義やら個人主義・ヒューマニズムなど、意識的に受け入れたものもあるが、人間の傲慢(ごうまん)まで入れるつもりは無かったに違いない。

 また科学教育なるものも、当然ながらその思想と共に受け入れている。「霊長類」という言葉とともに、西欧の人たちのユダヤ教的な考え方の影響を受けたようだ。

 それが証拠に、明治維新までならとても考えられないような自然破壊を、日本人も平気でするようになってしまっている。山そのものが神であり、山の中にいる動植物は神の使いや憑代(よりしろ)あるいは神そのものであると信じている所では、自然破壊は有り得ないし、自分たちに有用な種を絶滅させることも有り得ない。

 また、人間以外の生物に神が宿る、あるいは神そのものであるなどという考えは、一神教では有り得ないことである。自然科学が生物をも「もの」としか扱わないのも、実は彼らの宗教と親和性が有ったからであり、インドや中国・日本で自然科学が生まれなかったのも当然のことだったのだ。(つづく)

〈H19.12/18初出〉

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