UFO通信 |カラスが道具を……(1) by Ufo

想

小坊主のつぶやき

いつそば「観心の章」

いつそば「開目の章」

自在生活ノススメ

UFO通信

のほほん評判記

 では、なぜ彼らの思い込みがこれほどまでに強固なのだろう。

 さまざまに考えることができるが、一つキリスト教の影響が考えられる。「そんなはずはない」とおしかりを受けるかもしれない。というのは、日本では「宗教と自然科学の対立」という図式が定着していて、「自然科学」が「宗教」である「キリスト教」の影響下にあるなど論外だと考えられているからだ。むしろキリスト教の影響を脱したところに成立したのが「自然科学」なのだ、というのが日本の常識であろう。

 古くはガリレオ・ガリレイと教会の対立、ジョルダーノ・ブルーノの火刑、新しいところではダーウィンが進化論を発表するのにずいぶん躊躇(ちゅうちょ)したことなど、宗教と自然科学の対立の顕著な例としてあげられることが多い。ことのついでに言えば、ガリレオ・ガリレイは、色々事情はあったのだろうが、教会の脅しに屈して持論を主張することをあきらめ、「それでも地球は回っている」と言ったとか。他方ジョルダーノ・ブルーノはあくまで自説を曲げず、終には火刑に処せられたそうだ。

 ところが「進化論」など、「自然科学がキリスト教の申し子である」という立場からみるとうなづける点が多いのだ。ダーウィンの進化論の後、社会進化論・宗教進化論などがあらわれた。いずれも当時の西欧社会が最も進化していることを論証するものだった。理性・科学技術・民主主義・資本主義・一神教などがキーワードといえようか。

 もちろん、素直に受け入れられたわけではない。聖書の記述どおりであると抵抗する人たちも大勢いた。極端な例では、かなり近い頃まで、アメリカ南部緒州の義務教育では進化論が省かれていたそうだし、今でも義務教育の現場から外そうと抵抗している勢力があるそうな。

 ダーウィンが意識的に考えていたのは、おそらく教会の教義に反するようなことであったろうと思うが、意識の下ではキリスト教会の教義を証明しようとしていた、あるいいはしてしまった、つまり「人類の優位性」を論証してしまったのではないだろうか。進化論が西ヨーロッパの人たちにあれほどに受け入れられた理由を考えてみる時、何ほどか彼らの日ごろの考え方や感じ方に近いものがあるからだろうと予想するからだ。

 ご存知の通り、キリスト教(旧約聖書)では、「神」は天地創造の初めから五日目まで人間を取り巻く環境を整え、六日目に人間を創り、七日目は休息したことになっている。ここにすでに進化論の萌芽(ほうが)が見えている。そう、最後に人間が現れたのだ。

 ダーウィンがどう言ったかは知らないが、一般の受け取り方では、進化論でも人間は最後に進化した、つまり最も進化した生物なのである。物事をまともに考える限り、何万年か何十万年か昔に進化して人間になった動物より、昨日今日新たに進化したものの方がより進化した動物であるとするはずであるが、そこに考えが及ばない、というより考えたくないのかとさえ思われる。

 おそらく進化論者達は「進化の度合いは後先の問題だけではない」と言うのだろうが……。(つづく)

〈H19.11/26初出〉

what's newdiscourseseasontalesideadownloadlinkmyoabout "myo"site mapNOEC

HOME

Since 1999, Nichiren-shu Osaka Enlightenment Center. All teachings are opening up.