UFO通信 |仏になったらどうなるの?(4) by Ufo

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 さて、教義を伝える努力をしている僧侶方も大勢おられることと思うが、伝えられる側の日常生活や努力目標に、実践的に役立つようなものでなければ意味がない。この点で意義あるものにするには、どうしても双方向の会話や議論が欠かせないのではないだろうか?

 頂上に立つ者の考えがそのまま実施される、というのは形としては美しいものがあることは否めないが、それが有効であるのは限られた局面でしかない。非常に抽象的な仏教の教義や宗学の内容を具体的に伝えるためには、少なくとも日常生活の個々の局面でどうものを言えばいいのか、どう行動すればいいのか、どういう態度をとればいいのかがわかるまで、充分に質問ができる状況にあるほうがいいだろう。

 しかし、この方法は実際にはほとんど不可能に近いやり方ではある。多数の人を相手にしては、それぞれの人にそんなに長く時間をとれるわけではない。愚僧も出家する前は、お坊さんというのは暇な人種なんだと思っていたのだが、いざ坊主になってみるとこれが大違いで、びっくりしているくらいである。そんなわけで、様々なところで色々な試みがなされているようだ。

 その中の一つにパソコン通信というのがある。すでに新旧各宗派とも実施、あるいは計画段階にあると思われるし、また個人で通信している人も多いと思われる。それはともかくとして、パソコン通信のメリットとデメリットとを少し整理しておきたい。

 メリットの方は、まずこれまで書いてきたこと、つまり双方向のやりとりが可能なこと、時間に制約されないことがあげられる。自宅にいて都合のよい時に読んで、都合のよい時に書き込んでおくこともできるし、さらには読んでからじっくり考えて質問したり、返答することも可能である。しかも同時に多数の人を相手にすることもできる。

 他方デメリットの方はどうかというと、直接相手に会って話すわけではないから、人柄や表情がわかりにくく、文章表現の巧拙(こうせつ)に左右されやすいことが挙げられる。ぼくとつな話し方がかえって相手を納得させる、ということもよくあることである。しかしながらこのデメリットは、それほど心配することは無さそうである。というのは、パソコン通信をしている人達に聞いたところでは、通信内容を見てその人に直接会いたくなり、今ではグループができ、定期的に会っている人達もいるそうである。

 デメリットはまだあって、器械を用意せねばならないこと、その器械の扱いに習熟しなければならないこと、その上文章表現に巧みにならなければならないことなどである。

 このように障害もかなりのものであるが、それらを乗り越えるだけの価値はありそうに思える。なにより、この先予想されるようにパソコン通信をする人達が増えると、非常に大勢の未信徒に対して、法華経や大聖人のことを「正確」に知ってもらえる機会が多くなるのは確実である。

 正確に、と書いたのには少し条件がある。教学についてつね日頃研鑚を積んでおかなければならないのはもちろんのこと、読んでもらえるだけの内容、つまり読もうとする人達の要請である「リアリティー豊かな解釈と表現」を身につけておかなければならない、というのがその条件である。さらに、自分の知らないことを持ち出されたり異見を差しはさまれたりした時に、慌てたりあせって言わずもがなのことを言ってしまわないような落ち着きも必要である。それやこれやを考えると、結局若い僧侶方に期待することになってしまうのだ。

 昨年一年でパソコンがずいぶん普及したそうであるが、今年は一層拍車がかかり、いずれは一家に一台という時代になる。それもごく近い将来だ、ということであるから急ぐほうが良い。(つづく)

〈H8.2/25初出〉

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