UFO通信 |大震災(2) by Ufo

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 ところで、こうした死後世界観は、極く単純なものから、非常に複雑な構造のものまで様々であり、時間的・空間的布置について、論理的整合性や具体的表現において、人々の感激を誘ったものが生き残っているのであろう。そして必ずといって良いほど、現世での生き方について、例えば「道徳的にはこれこれ」というような勧めに結びついている。これは非常に大切なことで、死の問題が大きければ大きいほど、いかに生きるべきかが問題になる、という実にうまい仕掛けになっている。

 さてこそ、釈尊の教えの中で「成仏」が最重要問題であるとうなずけるのである。まして成仏の暁(あかつき)には「生死」を離れるというのだから、実に見事である。これを信ぜずして他の何かを信ずる、あるいは無いことを信ずる人たちの気が知れない。ところが現実は……。

 死の問題も、死後の問題も、共に解決してしまうという上手いやり方を捨て、生者にとっての問題解決策を死者の側へ押し込めてしまった原因については、種々に考えることができる。単純化してしまえば、それを求める者がいて、伝える方も求めに応じている方が楽なので乗ってしまった、というところであろう。

 自らの考え方や感じ方や行動を、お互いが自ら変えることによって、生きる上での様々な問題を解決するより、問題が起こる原因を他者のせいに、この場合当り障(さわ)りのない死者のせいにしておき、死者を慰めることで解決しようとする。それが智恵だとでも言うのだろうか。

 これが浅智恵に過ぎないことは歴史の示すところでもあり、世界の情勢を見れば、いや現今の日本を見ただけで分かることだ。そして多くの、いやほとんどの人は薄々気づいている。だが意識化しないでいる。意識化すれば、自らが変化しなければならないから。

 ここで、僧侶の役割が少し具体的になったように思われる。生者にとっての様々な問題について、その原因を他者に求めるのではなく、自らが変化することにより、自らが行動することにより解決する。そうすることが結局は得策であり、同じ失敗も繰返さず、根本的に解決できることを伝えるべきである。今のところ愚僧は、相手が薄々気づいているこうした部分を意識化する手伝いをするのが、「折伏」の第一歩であると思っている。

 阪神大震災の弔慰金から、ずいぶんかけ離れた論議になってしまったようだ。いや実際、いまだに避難所生活を余儀なくされている方々のことを思えばかけ離れているのだが、大聖人の「立正安国論」から言えば、一番遠いようで一番近いのかもしれない、と思いなすことで自ら慰めて筆をおく。

〈H7.4/25初出〉

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