UFO通信 |久しぶりの大和路(4) by Ufo

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 今世紀になって、特に第二次大戦後、西欧ではキリスト教批判が盛んであるが、日本では仏教批判はそれ程でもない。明治以後は多少あったようだが、それもヒステリックなもので、教義に対して根本的な打撃を与える程のものは、少くとも拙僧は知らない。むしろ、現今は仏教に対する期待を聞くことの方が多い。これは、拙僧に対するご愛想も混っているのかも知れないが、一方で、仏教が機能していないことに対する批判、即ち僧侶の怠慢(たいまん)に対する批判が同じ口から出ることから考えて、期待と受け取るのもあながち不当とは思えない。

 とすれば、仏教あるいは仏法の内容を伝えることをせず「信じなさい、信じなさい」と言っているだけでは、いつまでも怠慢のそしりはまぬがれまい。「お題目さえ唱えておればよい」という言い方は「お念仏さえ唱えておればよい」というのと何ら変わらないし、相手によっては馬鹿にする結果になりかねない、ということを肝に銘じておく必要があろう。

 ことに最近は若い人達が宗教に傾倒(けいとう)したり、河合隼雄氏の著書がベストセラーになったりで、世の中の人達が、濃い薄いはあれ「心が大切だ」ということに気付いている。当然次は「その大切な心の働かせ方は?」ということになるのだが、果して世の中の期待に応えられるのだろうか。

 私事にわたって失礼だとは思うが、あえて書かせていただくことにする。愚僧は若い頃、まだ出家する前には、僧侶方というものは心について理解・実践ともに専門家であると思っていた。つまり現今の若い人達と同じく、仏教に期待していたわけである。そこで禅・浄土系を少しずつ噛(かじ)ってみたのだが、どうもしっくり来ない。「結局は一番縁の濃かった法華なのかな」と思い始めた頃に、縁あって出家することになったのだが、入って見ると、驚いたことに宝の山である。これを手に入れぬ手はない。

 心理学的な側面だけに限って見ても、西洋の心理学よりよほど幅も広いし、奥も深い。法華教学の心理探究はずいぶん進んでいるように感じる。先ほど名前を出した河合隼雄氏は、ユング派の心理分析学者である。ユング派の説き方は、どちらかと言えば唯識(ゆいしき)に似ているようにも思えるが、それはともかく森政弘氏によると、やはり唯識の方がフロイトやユングより遥かに奥深いそうであるから、愚僧の感想もどうやら的を射ていたらしい。もしこの宝の山を放ったらかしにしてしまうなら、千数百年前に聖徳太子が三経義疏(さんきょうぎしょ)を著(あらわ)したことも、「十七条憲法」を定めたことも無駄になる。蘇我(そが)氏の動機がどうであれ、我々の目の前には無限の宝の山がある。

 「行学二道」というから「行」の方が上だ、とばかりに「学」を捨てるのはもっての外であると思う。大体「学」の裏付けのない「行」などつまらないものだし、「行」を日常生活の中での行動ととるなら、犬猫や野生の動物の方がよほどうまくやってのけていると思われないだろうか。凡夫の浅智恵でいくら「学」に励もうが、たかが知れていることは確かである。五十歩百歩なら「信」なり「行」なりの方が、というのもよく分かるし、それらも大切なのだが、わずか一歩の違いが決定的な違いになることがある、というのもまた世の中である。

 透きとおるように青い空にそびえる法隆寺の五重の塔を見て、新たな感動を人生につけ加えられたことを喜ぶとともに、様々な思いが脳裏を駆け巡り、友人夫妻にも大いに喜んでもらえた、なかなかに楽しい大和路の一日であった。

〈H7.1/25初出〉

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