UFO通信 |UFOが飛ぶ(1) by Ufo

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 拙僧は必ずしもUFOの実在を否定するものではないが、今まで雑誌やテレビ等で見聞きした限りでは、数々の証拠と称する写真やビデオにもかかわらず、言うところの目撃談をあまり信用する気になれない。コンピューターによる画像解析の結果云々と言われても、ひところ雑誌やテレビ局に投稿された偽造ものでないことが分かる程度であって、写真であればフィルムの感光物質の微粒子一個、ビデオであればドット一個分より細かいことがわかるわけでもなかろうし、冷静な目で見れば単に何やら得体の知れぬ物が写っているぐらいにしか思えない。

 それより情け無く思うのは、彼らUFO実在論者達がコンピューターを持ち出しさえすれば、あたかも黄門様の印籠(いんろう)のごとく誰もが恐れ入る、と思っているらしきところである。これはとりもなおさず、彼ら自身が、コンピューターを持ち出されると一も二もなく信用してしまう、という弱点を持っていることを示すに過ぎない。

 UFOというのは、もともと「未確認飛行物体」という訳語が示すとおり「何やら得体の知れない飛行する物」という意味なのだが、写真やビデオを見る限りでは「未確認」であることを確認できるだけで、「飛行」しているかどうか、「物体」であるのかどうかは確認できない。

 さてこんな言い方もある。「複数の人間が見たのだから、それは客観的事実である」と主張する人達がいて、またそれを信じる人達がいる。なるほど一人よりは二人、二人よりは多数というように、客観性が増していく場合が多いことは認めることができる。

 けれども反対に、大勢の人間が同時に同じ間違いをすることも結構ある。ふと空を見上げた時に何か光るものが見えたとか、空を眺めていて輝くものに気が付いたとかいうような場合に比べれば、はるかに厳密で洗練された実験をしている自然科学者達でさえ、同じ実験で正反対の結果を得ることがある。極端な場合ほぼ同数、つまり半分は間違っていたなどということも過去にあった。現在でも低温低圧下の核融合については、肯定否定こもごもで、まだ決着していない。複数の人達が見たからといって、そのまま実在するとは言えない。論理が単純だからといって即間違いとは言えないが、あまりに無邪気なのも困りものだ。

 もう一つ付け加えると、UFO着陸の痕跡、あるいは来訪の間接証拠と称せられるものについて、種々な論議がある。近頃では例のミステリーサークルが有名である。その他にも、古代遺跡のうち何の目的で作られたものか説明が容易でないものや、技術的問題を解明しにくいものについても宇宙人来訪の証拠とされやすい。

 ミステリーサークルについて言えば、その発祥の国イギリスについて考えてみる方が益が多いように思う。ご存知の通りイギリスは「紳士」を生み出した国であり、これはあまり知られていないことだが「ダンディズム」を生んだ国でもある。これらの基調はいずれも「禁欲主義」なので、その補償として彼らは「いたずら」好きであり、当然のことだが洗練されたものがある。ひっかかった者も、その見事さに思わず拍手してしまうという体のもの、発想のユニークなものを目指している。ミステリーサークルなどその典型だ、と言えなくもない。

 与えられた字数が尽きました。続きは次号で……、よろしくお願い申し上げます。(つづく)

H5.10/25初出〉

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