UFO通信 |I 先生の変貌 by Ufo

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 基本的な優しさというか、仏教でいう慈悲に基づいた言動の人。つまり時には叱ることもあり、眼前の平穏無事にとらわれることなく、正しいことを言い、行える勇気のある人。その上で、博識とそれを自在に使いこなせる論理体系を確立し、実践に活かしている人。長年研鑽努力し、人々の心を豊かにした人。高邁な理想を掲げ精進する人。人類を正しい道に導いた人、導こうとする人。各々の立場の任をまっとうする人等々……。

 有名であるかどうか、成した事の大きさ等はあまり関係なさそうである。中には有名でありさえすれば、というような「名士コンプレックス」はたまた「成金コンプレックス」みたいな人もいるのだろうが……。

 そろそろ本題に入らなければ……。実は生田先生は以前、自他共に認ずる「宗教嫌い」であった。宗教嫌いの理由については、歴史上キリスト教会等が宗教の名において何をしてきたのか、またしなかったのか等々、学生時代からよく聞かされたものだ。拙僧が出家した時には「私の宗教嫌いを知っていながら……」と皮肉(ひにく)られたものである。

 当初は拙僧も「開祖と教団とは別にお考えになられる方がよいのでは……」とか「仏教は宗教戦争を起こしてはいませんよ」とか申上げたのだが、そんないいかげんな言い方で動かされる人でもなく、以来十年余り、宗教について深く議論することもなく過ぎたわけだが、先日は大いに違っていて驚かされた。先生の口から、ソクラテスはまあよいとして、イエス・キリスト、釈尊、日蓮聖人の名が世に希有なる存在として挙がったのには、心中思わず「快哉(かいさい)!!」であった。その後は大いに談論風発(だんろんふうはつ)、拙僧は極く少量しか呑(の)まぬが、まこと美酒であった。

 先生が日蓮聖人を評価されるについては、主として高山樗牛(たかやまちょぎゅう)の著作によられたようで、御遺文もすべて読んでおられるわけではないようだった。教えてさしあげた日蓮聖人御遺文の数句の内では、直言居士(ちょくげんこじ)の先生のこと、「言わずは慈悲なきに似たり」をことのほか気に入られた様子であった。

 ところで現今の我が宗門では「言うは慈悲なきに似たり」とて、眼の前の平穏を第一義とするかの風潮があるのはおおいに問題であるように思う。確かに妙法蓮華経方便品には「是のごとき大果報、種々の性相の義(中略)是の法は示すべからず。言辞の相寂滅せり」とか「諸法寂滅(しょほうじゃくめつ)の相は言をもって宣ぶべからず」とあって、言葉が万能でないと受け取れる教えがあり、「教外別伝(きょうげべつでん)」とか「以心伝心(いしんでんしん)」の根拠になっているようだ。しかし、まさか「腹芸(はらげい)こそ坊主の本分」というわけでもあるまい。

 日蓮聖人の辻説法や法論等の事跡、御遺文を見れば、その能弁(のうべん)にして能文(のうぶん)は明らか、門弟である我々は僧俗ともに一歩でも大聖人に近づく努力をするのは当然と考える。「外に向かってこそ雄弁を発揮すべきであろう」とか「未信徒の教化という実践を通じてこそ能弁たり得る」という考えは正しいが、初心のものには身内(宗門内)での訓練が必要である。にもかかわらず、初心の者ほど訓練の機会が少ないという状態はまことに残念である。恐らく「不言実行」が貴ばれたことに影響されてのことだろうが、これは何も「まともなことも言ってはいけない」というのではなく「下らぬことを喋(しゃべ)り散らすな」という戒めであるから、法華経・御遺文や教化については大いに論議すべきであると考える。

 さて元に戻って、大いに談論風発はよかったのだが、残念なことが一つある。先生のおっしゃるには「日蓮聖人は偉大な存在として尊敬するが、日蓮宗の信者にはならぬ」「どの宗派の信者にもならぬ」とのことである。古今東西の名著に通じ、一流の人士と交わり、有意の青年達に多大の影響を与え続けておられる先生には、現今の我宗門はもの足りぬところがあったのだろうが、自身の力不足を恥じ入るばかりであった。なお一層の精進を心に誓った次第である。

【後日談】

 数年の後、実に残念なことに先生は亡くなられた。

 ご専門のフランス文学では、その訳業(やくぎょう)の見事さは言うまでもない。誤訳などという初歩的ミスがないのは当然のこと、その日本語としての美しさは比類ない。かろうじて武部利男先生の訳文が思い浮かぶ程度だ。また当時、日本に紹介されていない作家や作品に焦点を当てられたことも特筆に価する。

 ともあれ、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)に縁の深い鷹ヶ峰に住まわれ、書斎には「双蓮居」と名づけられた先生は、いま鷹ヶ峰の常照寺(日蓮宗の元檀林)、吉野大夫のかたわらに眠っておられる。まこと法華に縁の深い方であったのだろう。

H4.7/25初出〉

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