UFO通信 |偏差値社会改善策(2) by Ufo

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 つまりは複雑な事物の個々にとって最良の方法で対処できるような態勢をとり、しかも可能なかぎり柔軟に対応することが、仏陀の平等の慈悲を我がものにする手段の一つであろうと思うのである。単一の価値基準でもって対処するのは、いわゆる悪平等でしかない。

 ところで、これを実現するのは非常に困難なように(或は不可能事のように)思われるかも知れないが、如来が我々に即身成仏を保証して下さっているからには必ず可能であり、現に世の動きは遅々たる歩みではあれ、全体としてそのように進んでいるように思う。

 閑話休題。例を教育にとるとすれば、教育を受ける側は種々様々な才能を持った者がいるわけだから、彼等彼女等のそれぞれに見合った教育があってしかるべきである。従って社会人として共通に持たなければならない知識や考え方、姿勢といったものは、最小限に止めるべきであろう。

 さてその後はどうか、となると難問である。というのは、よく言われることに「子供に自由に進路を選ばせるべし」というのがあるが、これが結構間違いのもとになることがある。

 子供が自分の将来を考える時には、親を初めとして周りの者の意見や世の動き、生物としての必然に左右されることがよくある。一例をあげると、十四・五才位の女の子に「将来何になりたい?」と尋ねると「保母さん」という答えがかなり多い。これは彼女等がその年頃になると無意識のうちに子育ての練習をしたくなるからだ、というのが通説であるが、だとすると、これは生物としての必然ということになろうか。

 従って自由に選ぶとすると、常に個人個人が持っている生まれつきの才能と一致するものを選ぶとは限らないのである。ここでも若い頃の志を一生貫くことが必ずしも最良の方法とは言えない。むしろ変化してあたりまえである。それを昔のように“変節”ととらえマイナス評価しか与えないとすると、自らの生まれつきの才能を発見できぬまま一生を過すということになりかねない。若い頃の志を貫くことができない人のほうが多かったようであるが(だからこそ貫いた人がほめそやされたのであろう)、才能がなかったのでもなく、努力が足りなかったのでもない可能性がある。

 筆者は、むしろそっちの方が多かったのではないかと考えている。もしそうなら周囲にいる者は、その子の才能を見きわめる力と適切に助言できる(というより説得する)力が必要である。

 又々、与えられた紙数が尽きかけました。短くまとめる才能がないことを情けなく思い、短くまとめる努力が足りないことをお詫び致し、次回に持ち越すことをお許しいただきたくお願い申し上げ、一旦筆をおきます。(つづく)

H3.10/25初出〉

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