UFO通信 |人類の危機が、今始まった by Ufo

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 「では一体我々はどうすれば良いのか」いう問いに、必ず返ってくる答えの一つに「科学技術を進展させることで解決しよう」というのがある。つまり「エネルギー変換の効率を上げること」と「これまで利用できなかったエネルギーを使用すること」の二つである。しかしこれらは確実性に欠ける。人類が自滅の坂を転げ落ちるまでに成功するかどうかわからない。核分裂反応を利用する原子力発電は問題が多すぎるし、核融合反応はまだ成功していないし、太陽電池の効率も低すぎて実用的でない。熱帯雨林の破壊や、サバンナの砂漠化を止めるのに間に合うかどうか。

 そこで別に答えはないかと探すと、ありました。もちろん古来のほとんどの宗教や哲学思想が言い続けて来た「少欲知足」という考え方である。ところが、個人主義(を隠れみのにした利己主義)→自己主張→欲望の開放、という図式が世界を覆い始めてから、「少欲知足」を説く宗教や思想が力を失ってしまったのは御存知の通りである。この欲望の限りの無さにブレーキを掛けていたのは、実は社会主義・共産主義だったのである。つまり「資本家の皆さん、余り勝手なことをなさいますと、革命が起きて元も子も無くしますよ」という、言わば無言の警告になっていたのである。社会主義国家の存在意義で最大のものは実はこれだった、のかも知れない。

 今、そのたがが外れたのである。はてさてどうすべきか。

 「人間は眼前の物によってその行動が規定される」というマルクスの規定が、社会主義・共産主義国家の破綻によって証明されてしまう、というのは歴史の皮肉というものであろう。それはさておき、金品に対する欲望の限りの無さと、生産には限りがあるという矛盾を止揚して、物欲に関して新たな、より高い次元に到達する、という弁証法的側面をマルクスが想定していた、として良いのかどうか。福井氏からは直接の形では御教示頂けなかったので、手に余り思案投首の末、以上のように考えてみたのだが……。もし良いとして、ではマルクスは止揚をどう実現しようと考えていたのか?放っておいても自然に実現すると考えていたのか?実現に向けて誰かが何らかの行動を起こさねばならぬと考えていたのか?はたまた誰かが意図して出来たことでも歴史の客観的な眺めからは自然に成ったことだと考えるのか?とにかく意識の変革の実現に至る具体的な階梯(かいてい)がどういうものか知りたいと思う。

 「人類が百万年後にも存続していたいと考えるなら、百万年後にも通用する文明論を準備しなければならぬ(大意)」とは、童話作家M・エンデの言であるが、拙僧も大賛成である。日蓮大聖人は末法の我々に、万年の外未来までも通ずる指針を御示しになられた。門弟たる我々は(敢えて蛇足の謗(そし)りは覚悟の上で言えば、僧俗の区別なく)その指針に従って具体的方策を作り、実現していかなければならない。百万年後の文明論もその一つである、と考える。その上で、近くは明日の行動方針を立てるべきだと思うのだが、いかがなものであろう。

H2.6/23初出〉

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