UFO通信 |宇宙論・生命とミステリー by Ufo

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 ともあれ、宇宙の謎・生命の謎等がこの先も我々の好奇心を刺激し続けることは間違い無い。一方で公害問題を契機に科学万能主義に対する批判があるにもかかわらず、こうした興味をどう捉えたら良いのだろう。話が変なところへ飛ぶようだが、最近のテレビ番組は、クイズとミステリー全盛である。海外の風物や生活習慣等を紹介するにも、動物達の生活を知るにもクイズ形式でする、という番組が二・三に止まらない。外国の紹介だけならクイズにする必要性はない。この形式を採るのは別の理由があるのだろう。

 ミステリーの方は、種々雑多な探偵が活躍している。考古学者であったり、祇園の芸妓で弁護士という才媛(さいえん)であったり、色々に目先を変えて楽しませてくれる。ポウの「モルグ街の殺人」をもって探偵小説の嚆矢(こうし)とするが、英語で元来の意味は「秘密をあらわにする者の物語」である。つまり、デュパンをはじめとする探偵達は、殺人事件と言うもっとも忌むべき事件、それ故に秘し隠さなければならない事情をあばく者、即ち謎があることの恐怖を取り除いてくれる者として、後に続くかもしれない殺人の恐怖から救ってくれる者として立ち現われたのである。

 ここまで書いてくればもうお解り頂けるものと思うが、宇宙論や生命論が人々に受け入れられる現象と、クイズやミステリーの盛行とは、根は一つであると考えられる。つまり人々は宇宙の秘密、存在の秘密を解明してくれる者を待望しているのである。未知なるものが眼前にあることの恐怖・不安を解消するのに、全能の神、例えばエホバや阿弥陀(あみだ)に頼り救いを信ずる方法と、未知なるものを既知なるものにする方法とがある。両方相まって進んでくれれば良いのだが、どうも一方に片寄ってしまう傾向があるのは気になるところである。しかし、これについては稿を改めることにしよう。

 戦後の急激な価値体系の転換の中で、従いて行くこともせず、有効な批判もせず、或いはより広く深い立場から新しい価値の説明もせず、要するに日常性に埋没したまま何もしなかったに等しい我が日蓮宗は、この人々の請願(せいがん)に応えなければならないのではないか。でなければ、祖願(そがん)達成など、単なる画餅(がべい)に終わると思うが、いかがなものであろう。

H1.10/25初出〉

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