のほほん評判記 |
円仁(えんにん)の「入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)」をパラパラ見ながら思ったのだが、日本から唐への渡航成功率は十隻に三隻くらい。帰りは増えて五隻くらい。伝教大師は一度で行って一度で帰ってきたが、鑑真和尚は六度目に来日できた。入唐求法僧は中国へ仏法を求め、学び、経典を書写して持ち帰った。七〜八世紀頃のことである。 さかのぼって、三世紀には法顕(ほっけん)が長安から天竺(てんじく)へ仏法を求めて入竺し、経典を持ち帰り「法顕伝」を著す。鳩魔羅什三蔵(くまらじゅうさんぞう)はインド人を父にもつ西域の僧で、長安にやってきてサンスクリット語の仏典を漢語に翻訳した。その正確さと格調の高さで「妙法蓮華経」は有名。 一九三三年、かつてのシルクロードを自動車道路として復活させたいという中国政府の依頼で、ヘディンは旧長安から敦煌(とんこう)、ゴビ砂漠を抜けて西域の奥へと調査を進めていく。その行程の過酷さは「西遊記」の記述が現実に即した脚色だったと気付かせてくれる。山並みは剣のように鋭く、砂漠は燃え、妖怪のような盗賊が出没する。 本書を読むと、いつも何気に手にしているお経の本は、人の手から手へ、山を超え、砂漠を超え、海を渡ってようやく辿(たど)り着いたものだ、ということが実感できます。 |