のほほん評判記 |
あなたは直感なるものを信じますか? 直感とは説明をぬきにして物ごとの真相を感じるもの、またピンとくることと辞書には載っています。例えば、数学の問題で答えがパッと出てくるなど、解き方が解らないとか、道に迷って周りを眺めていると、何となくこっちだとわかるということ。真偽(しんぎ)のほどは解りませんが、あの万有引力(ばんゆういんりょく)の法則を発見したニュートンも、林檎(りんご)の木からリンゴが落ちるのを見て「あぁ、そうか」と気づいたという話は有名です。 大昔のインドにマカダ国という国があり、その王子は老人や病人、そして死人を見て、真理を求め出家されました。はじめ苦行(断食行=だんじきぎょう)をされますが、この方法が間違いだと気付かれると即座に止めて、尼蓮禅(にれんぜん)という川に入って身を清められます。そして近くに住む娘によって食べ物の供養を受けて体力を回復され、菩提樹の下で瞑想に入りました。こうして「さとり」を開かれたこの人こそが、お釈迦さまだということはご承知の通りです。実はこの「さとり」は、直感であったとこの本では述べられています。 直感は受動性のもので、自分の思惟的(しゆいてき)なものは一切入っていません。お釈迦さまが「さとり」を開かれたその瞬間もまさに直感であり、お釈迦さまはその直感に対して思惟をめぐらせて言葉とされたと著者は説明しています。さらに心理学者カントの『純粋理性批判』の「悟性と感性の関係について」を引用して、直感が受動性のものである訳も解説されているのです。 悟性が自発的であるのに対し、感性は受動的です。思惟能力である悟性に対し、感性は思惟の素材を提供します。そう考えると、お釈迦さまのそれにはとても及びませんが、私たちの「あっ、そうか」も、その直感に対し「なにゆえにそうなのか」を吟味し整理することによって、後から理屈がして判るという経験も、お釈迦さまの場合と似ており「さとり」が身近に思えるのでは……。 とにかくこの本は、90ページ位でポッケトに入る大きさなので読み易い。 |