自在生活ノススメ |年 輪 by Keiju

想

小坊主のつぶやき

いつそば「観心の章」

いつそば「開目の章」

自在生活ノススメ

UFO通信

のほほん評判記

 先日、ある保険会社に勤務する方に、日本人の平均寿命について話を聞く機会がありました。二○○六年の平均寿命は男性が七十九歳、女性が八十五歳だったそうです。この数字を聞くと、若くして亡くなられた方がいれば「平均寿命まであと何年だったのに」と思い、また天寿を全うし高齢で亡くなられた方があれば「平均寿命を超える長生きだった」と思ってしまうでしょう。私もそう思っていました。

 しかし、この平均寿命という数字はその年に亡くなられた歳の平均ではなく、二○○六年に生まれた人が、これくらいは生きるだろうという憶測の数字だそうです。これには大変驚きました。

 なるほど、現代社会では医療技術が進歩し、食文化も豊かになったため、一昔前に比べると格段に平均寿命が延びていることもうなずけます。さらに、心身の健康と社会的な存在感を失わずに活き活きと「健康寿命」を伸ばし、はつらつとした社会を築き天寿を全うしようという運動に取り組む高齢者が、年々増え続けていることのあらわれではないでしょうか。

 ところで皆さまは、寿命・臨終についてどうお考えでしょうか?日常の法務で高齢者の方と接する機会が多い私は、老後の暮らし、老いていく不安、家族に迷惑をかけない臨終など、ご自身の今後について話を聞かせて頂くことがあります。

 仏教には「縁」という教えがあります。この世のすべてのものが関係しあって互いを支えているという意味なのですが、現代では大半の人が「自分に直接関係があるかないか」で物事を判断する傾向が強いように思います。

 この世に命を受けると、必ず年を重ね、生まれたその日から死に向かって歩み始めます。ですが、老いたからといって、なにも悲観的・消極的に物事をとらえる必要はありません。年を重ねたということは、それだけ人生の年輪を重ねたということになります。その年輪には、若者にはない様々な経験がたくさんつまっています。その貴重な経験を、残された寿命につなげることができれば、大変素晴らしいと思います。

 そして、無数の縁によって生かされていることに感謝する。人生の最後、臨終を迎えるにあたり、時には積み重ねてきた年輪が邪魔をして、新しい事を受け入れ難いこともあるでしょう。今さら新しい事に挑戦するにも、プライドが邪魔をすることもあるでしょう。

 なにやら、老後に輝かしい人生を送ること、生き甲斐のある人が素晴らしいという傾向が多々見受けられます。しかし日蓮大聖人は、一生を有意義なものとするためには、先ず最初に人生の締めくくりをきちんと解決しておくことだとお示し下さっております。

 人生の目標が見つかりました。明日からの生活を律していかなければと思う昨今です。


「自在生活ノススメ」バックナンバー

what's newdiscourseseasontalesideadownloadlinkmyoabout "myo"site mapNOEC

HOME

Since 1999, Nichiren-shu Osaka Enlightenment Center. All teachings are opening up.