自在生活ノススメ |蓮華のたとえ by Egen

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 皆様はお寺で、仏前にお飾りする花として蓮華がよく用いられていることにお気づきでしょうか。

 蓮華は古来インドで非常に尊重された花で、今日でも多くの仏教寺院で生花が供えられたり、極彩色や金色の造花が飾られています。また、仏像も蓮華座と呼ばれる蓮の花の形をした台に安置されている場合がほとんどでしょう。しかし、これはただの装飾ではありません。この蓮華の特色から、仏教の修行と悟りの関係を学ぶことができるのです。

 まず、法華経の正式名称は『妙法蓮華経』です。「妙法」とはお釈迦さまの説かれた素晴らしい教えということで、不可思議(ふかしぎ)・蘇生といった意味を持ちます。

 そして「蓮華」とは、お釈迦さまの説かれた妙法が、あたかも泥水の中に生育しながら、白く清らかな華を咲かせる蓮に譬えられる教えだということです。泥の中に在りながら花が泥に染まらないことから、煩悩(ぼんのう)から解脱して涅槃(ねはん)の清浄な境地を目指すという意味で、蓮華は多くの経典に登場します。ただし法華経においては、泥の中にこそ美しい花を咲かせる養分があることから、煩悩がそのまま悟りへと転じる要素になることが明かされるのです。

 また、法華経では「華果同時(けかどうじ)」ということが強調されます。私たちが知るほとんどの花は、花が咲き終わってから実をつけますが、蓮華はつぼみの状態で、すでにその花弁の下の台に見事な蓮の実を用意しているのです。これは、皆が生まれながらにして、仏に成る性分を具(そな)えていることを象徴していると言えるでしょう。

 最後に「経」とは、そうしたお釈迦さまの教えを束ねて後世に伝えることを意味します。今から約三千年前、お釈迦さまがご在世の時や、入滅されてそれほど時代を経ない頃、おおよそ仏道修行というものは、永遠に継続しなければならないにしても、一定の修行によってある段階の悟り(あるいは悟りに近づいた段階)に到達でき、また自分がどの段階にあるのかを確かめることができるとされてきました。

 それに対して法華経は、お釈迦さまの時代から二千年以上を過ぎた、今の世を生きる私たちのために説かれた教えです。そこには、今も私たちを導いて下さる久遠のお釈迦さまの実在を信じ、慈悲をもってそのことを他人にお伝えする修行の中にこそ、お釈迦さまと一体になる悟りの世界が現れると説かれます。これはまさしく蓮華の在り様とぴったり一致しています。もはや蓮華は単なる譬喩(ひゆ)にとどまらず、妙法自体を明らかにし、妙法と一体であると言えるでしょう。

 このように妙法蓮華経は、あくまで現実をそのまま修行とし、自身の役割を発揮するための指針であると納得することができます。お寺に行かれた折には、ぜひ蓮華にご注目下さい。


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