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「宗教って恐いですね」

 そんな言葉を、比較的若い世代の人から聞かされることがある。なるほど、その反社会性から大量殺人という罪を犯した新興教団や、連日のように報道されるアラブ諸国での戦争の様子。宗教に対して無関心どころか、不信感や恐怖感を抱くのも無理はない。

 しかし、物事の一部分だけを取り上げて、それを類似する物にも当てはめ一様にまとめてしまおうとするのは、私たちの悪い癖である。特に宗教の問題は奥が深く、宗旨が違えばまるっきり逆の思想を有している場合も多い。

 とりわけ仏教の場合は、欲望や悪に対する考え方が、西欧の宗それとは一線を画する。悟りと欲望、あるいは善と悪は表裏一体であり、完全に切り離すことができないことを『法華経』は説く。欲望によって自らを向上させたり、悪に対することで自らの心の内を見つめることは、悟りへの助けとなるからだ。

 こうした思想が仏教の根本にあるからこそ、自分たちの神を崇めるあまり、異なる神を崇める者たちを敵対視し、果ては相手を「悪魔」と呼んで「聖戦」の名の下に殺し合いを始める様なことは、仏教では本来起こり得ない。

 ただし、欲望や悪の肯定を、自分に都合良く解釈してしまわないよう、よほど注意は必要である。自分の中にあるものを否定して切り捨てるのではなく、うまくコントロールすることが命題なのだ。そうすることで、自分がこの世に生まれてきた意義を見出し、社会に向かってそれを発揮する生き方をしなければならないのだろう。

 とはいえ人間、いつもそんなに立派ではいられない。大抵は自分をコントロールすることができず、怒ったり悩んだり、苦しんだりするものだ。しかし、臨床心理士の安田一之氏はこう言う。

「人が一方的に成長することは有り得ない。まず沈んだ後に、再び成長するという繰り返しである」

 そして自分が完全でなくても、他人の悩みの奥底は自分の悩みとつながっているため、その人のそばにいて話を聞き、心を響き合わせることが大切だというのだ。

 私たちは、実に様々な出来事に頭を悩まされ、不安を抱きながら人生を送る。そして、その悩みを解決するのは最終的に自分しかいない。けれども、人は何かとつながりをもって安心を得、解決の糸口を見つけることができるのではないか。

 同じく臨床心理士で、神戸女学院大学教授の池見陽氏は「人間は他人によって修理されるような存在ではなく、温かく見守ってくれる人との関係の中で、自らの力で問題を解決し、成長していく存在である」と述べている。

 さらに法華経ではこう明かす。目には見えなくてもお釈迦さまはいつもそばにいて、私たちの成長・状態に合わせ、今も教え導いて下さっていると……。これこそ、究極的な救いではないか。


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