自在生活ノススメ |すさまじき男 by Shume

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 私は山寺に育ち、幼い頃より自然にお題目を唱え太鼓を叩いていました。当たり前のように法華経は目の前にありましたが、その深い意味を知ることはありませんでした。

 中学生の時に、紀野一義先生の『「法華経」を読む』に出会いました。そこに、こんな一節があります。

「すさまじき男?肯定、肯定、絶対肯定してゆくのだ……男というものはどこかですさまじい生き方がなくてはならぬ……微笑みを浮かべ、一見気楽そうな顔をしたすさまじさ……すばらしいと信じ通すすさまじさである」

 これを読んで、初めて法華経を素晴らしいと感じたのです。そして興味を持ち、深く学び人に伝えたい、教えてあげたいと思うようになりました。

 しかし、伝えたい気持ちは強くても、元来の話し下手。うまく伝えることができずに、悔しい想いをすることが多くありました。原因は家庭にあったように思います。私の厳父は気難しく、機嫌を損ねないようにと、幼い頃よりいつも気を張りつめていました。そのため母と私たち兄弟は、小声で話すことが癖になってしまったのです。

 今では大阪に身を置く私にも、人前でお話をする機会を頂くようになりました。しかし、いつも「声が小さくて何を言っているのか分からない」とお叱りを受けます。しかし、先日ある所で法話をさせて頂いた時には、練習の成果もあってか、先輩のお上人から「話は下手やけどナ、内容は良かった」とのお言葉を頂き、少しホッとしました。

 そんな折、とても嬉しいお話を頂いたのです。大阪日蓮宗青年会が毎年子供たちのために開催している「サマーセミナー」の、最終日の法話の依頼でした。ちょうどその前年に私が企画・運営に携わった時の想い、そしてその年は日蓮聖人のご生涯とお題目について子供たちに学んでもらおうという企画。まさに私が伝えたかったことをお話しできる、大きな機会でした。

 ところが、いざ子供たちの前に立つと、輝いていた子供たちの眼が、話が進むにつれて次第にしんどそうな眼に変わっていくのです。子供たちに言葉のごまかしは効きません。「難しいのかな」と不安になり、頭が真っ白になりました。そして、とうとう覚え書きも目に入らなくなり、まとまりのないまま話を終えてしまいました。

 目の前の子供たちを、お釈迦さまの大慈悲に抱かれた仏の子であると絶対肯定し、何としてでも大切なことを伝えきろうとする「すさまじさ」が、私にはまだまだ足りなかったのです。機会を与えて下さった先輩方に申し訳なく、深い反省と自己嫌悪で落ち込みましたが、後日の反省会で「青年会の卒会までにもう一度チャンスを頂きたい」と申し出ました。「もうええって」と言われるまでは頑張りたいと思うのです。

 今、私は大阪で良き師、良き先輩、そして良き後輩といった善知識に囲まれています。この悦びと学んだことを、しっかりと身に染み込ませ伝えていける「すさまじき男」になろうと、その時あらためて日蓮聖人にお誓いしました。


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