自在生活ノススメ |夢 by Tayko

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 あなたは寝ているときに夢を見ますか?

 私は結構見るほうだと思います。私の夢は現実的なものもあれば、およそ非現実的なものもあります。今日の延長を夢の中で演じてみたり、過ぎ去った遠い出来事の中に自分だけが取り残されていたり、時には怪獣なんかも出てくれば自分がスーパーマンになったりもする……。それはもう様々です。でも、たとえその夢がどんなに衝撃的であっても、逆に心地よい夢であっても、目覚めてみれば記憶は定かでなく、内容について詳細に語れることはあまりありません。不思議なものです。

 私の場合、夢の中に初対面の人は登場せず、面識のある人しか登場しません。でも面識が無くても、有名人は不思議と夢にご出演いただけます。つまり実際には会ったことは無くても、テレビや新聞・雑誌でお目にかかっているからでしょうか。

 また、中学校以来十数年会っていない友人が登場したこともあります。しかも当時の容姿では無く、それ相応の時間を経たと思える歳格好で出てくるのです。

 一方、すでに死んだはずの人が夢の中で生き生きとして活躍している時があります。その時はなぜか「気持ち悪い」とか「もう死んでいるはずなのに」なんて気持ちは微塵(みじん)も起こりません。そればかりか、その人が死んだ時はまだ生をうけていない我が子も、一緒に登場しているのです。

 どう考えても同時に存在するはずの無い人たちが、夢には同時に存在している。しかも何の違和感も無く、ごく自然に……。夢の中では、時間や生死の境(さかい)というものが無いのかもしれません。

 不思議なのは出演者ばかりではありません。夢の中にいる自分も、これまた出演者以上に不思議な存在に感じます。自分の存在は確認できても、姿形を確認できない時があるからです。何と表現すればいいのか分かりませんが「意識だけは存在している」とでも言えばよいのでしょうか。自分の存在を動かしている別の自分、すなわち「第三者の自分」が意識として別に存在しているような時があるのです。一時「幽体離脱(ゆうたいりだつ)」なんて現象がずいぶん世間でもてはやされましたが、そんな感じでしょうか。

 とにかく夢は不思議です。私はここで心理学者のように、夢の分析や構造について話を進めるつもりはありません。もちろん心理学者でもありませんし、そんな知識も持ち合わせていませんから……。ただここで一つ提案したいのは「現実世界の中でも、夢の中のように時間や生死にとらわれず、第三者の自分が全体をすみずみまで見渡し、自分の行動や心を自在にコントロールできないだろうか」ということなのです。

 これは簡単なようで、意外と難しい気がします。環境問題しかり、数年前のバブル景気しかり。心を自在にコントロールできていたならば、今みたいな世の中にはならなかったことでしょう。

 経説によれば、お釈迦さまは自在に心をコントロールされ、そればかりか時間・空間をも超越されていたようです。つまり、無限の中で自在に活動されていたということになります。

 「今の若者は刹那(せつな)主義だ」なんて、世間ではまことしやかにささやかれていますが、お釈迦さまの目から見れば、私たち人間すべてが刹那主義と言えるでしょう。十年・二十年単位ではなく、せめて百年・二百年、いやいや千年単位で物事を考えることができたなら、きっとすばらしい世の中になるはずです。

 有限の時間・空間に生きる私たちが、無限を実感することは困難なことでしょう。でも、自分の心や行動を自在にコントロールし、なおかつ無限を実感もしくは信じることができたならば、『自在生活』の実現もそんなに遠くないのかもしれません。

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