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 最近、我が家の四歳になる子供が、ひらがなを覚え始めた。もちろん幼稚園で習ってくるのだが、私の場合は小学校に入学してから習ったような気がする。それを思うと、ずいぶんと早くに教えるものだと感心してしまう。

 このところ、この子が毎日のように「『あ』はどう書くの?」「『い』はどう書くの?」などと楽しそうに聞いてくる。こちらも聞かれるのが嬉しくて、いっしょになって楽しく字のおけいこをしている。園児の中には、漢字で自分の名前を書ける子供もいるらしい。いやはや驚嘆である。

 ところで、この「漢字」。読めない字には振り仮名をつけるが、西洋人にはこれが滑稽(こっけい)に映るらしい。どうも漫画の「吹き出し」部分のように見えるというのだ。当然のことながら、英語のスペルには振り仮名など存在しない。日本語のそれは、考えてみれば字の二重表記である。しかし漢字が象形文字から発達したことを考えると、なるほど西洋人のそうした見方もうなづける。

 さて、漢字には様々な読み方がある。その読み方の違いで、意味も違ってくることは周知のことだが、例えば「楽」という字。一般に知られているのは「らく・がく」という読み方である。ところが他にも「ぎょう」という呉音(ごおん)の読み方がある。

 「ぎょう」と発音した時、それは「願う」という意味になる。私はこの読み方が好きで、学問の「学」を「楽」の字に置き換えて当てはめてみる。学問は楽問。「がくもん」であり「らくもん」、そして何より「ぎょうもん」であると。問うことを願うのが学問であり、これこそが学ぶ者の姿勢だ思う。謙虚な姿勢で問うことを楽しみ、問うことを願うと、難しい知識だけではなく、日常の些細(ささい)なできごとや言葉も、私たちに多くのことを教えてくれる。

 問いの無いところには答えなど存在しない。仮に存在したところで、それは通り一辺の無機質な答えだろう。互いに問うことを願い、問われることを願う。そこにこそ、問い問われることの楽しみが存在するのだ。これが私の「学問のススメ」である。

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