自在生活ノススメ |ボランティアについて 5 by Ufo

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 人間のさまざまな活動の裏には、良くも悪くも非常に複雑な心の働きがあるため、その関係をすべてを説明しつくして書くことはできない。それほど我々の心は複雑に、微妙に、動き、働くものだ。

 感情や理性といった抽象的な言葉を使って、いくら分類し分析しようとも、それらの実態はなかなか分からないし、それで日常生活における色んな問題を解決することもできない。まして、これら心の働きの内いくぶんかは、本人にも明白な形では意識できていないものだから、自らの心の内をできるだけ具体的な形で省察(しょうさつ)する習慣をつけ、コントロールする努力をしなければならない。そうしないと、いつまでも自分ではわからない自分の心に動かされて、起こさなくてもよい問題を引き起こし、もちろん解決など及びもつかず、「苦」の世界に沈んでいることになる。

 ところで、なぜ自分の心の働きのいくぶんかを、自分で知ることができないのだろうという疑問がのこる。

 この疑問に対する答えはこれまで種々あるのだが、「自分が『ある』と認めたくない心の働きに対し、目を閉じる」というのがほぼ定説になっている。

 ではどんな働きに目を閉じるのかというと、人類共通のもの、ある文化に特有のもの、また個人的なものまであって、これまた複雑極まりない。一口に文化といっても、民族の文化・国の文化・地方の文化・職業の文化・役所の文化・企業の文化・家族の文化等々……、それぞれに固有であるから、よほど自分のおかれた環境についてよく知り、他の文化との比較をしなければ、自分の心の働きを明確にすることはできないと言える。であるからこそ、古来からさまざまな修行法が伝えられているのだろう。

 日蓮聖人の「如来滅後五五百歳始観心本尊抄(にょらいめつごごごひゃくさいしかんじんほんぞんしょう)」では、「どの人にも仏性(ぶっしょう)があることを証明するための書」と言ってよいほどに「己心(こしん)の仏性」にこだわっておられるが、つまりは「人は自分の心の中に仏性があることを認めたくない」という事情をあらわすものとも言える。これなどは「人類普遍(じんるいふへん)の文化」によるものと言ってよいのではなかろうか。

 愚僧(ぐそう)のように、女性が主になっている小商売人の家に育つと、「形より中身」「体面より内実」という傾向がかなり強い。むしろ、どこかで「体面」を毛嫌いしているようだ。これは「職業の文化」あるいは「家族の文化」なのかもしれない。

 また逆に、他人のことはよく判るというのもある。時としてある「ご当人は気づいていないようだが……」というものだ。これを有効に使わない手はないと思うが、どうだろう。少なくとも、自分とは正反対の感じ方・考え方・行動の仕方の人の忠告はありがたい。〈つづく〉

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