自在生活ノススメ |ボランティアについて 4 by Ufo

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 学問や芸術・スポーツなどが「他人より上でいたいという欲望」だけで成り立っていると考えると、ことを誤る。「見知らぬもの、得体の知れないものに名前をつけて、理解しやすいようにしたい」とか、「身辺を美しいもので飾り、豊かな気持ちで暮らしたい」とか、理由はほかにもいろいろあるだろう。だが「他人より上でいたいという欲望」が、これらの営みの動機の一つになっていることも確かだ。しかもこれらに関する限り、どこやらのフィギュアスケート選手のような場合の他は、世間の非難を招かない。むしろこれらの道に邁進(まいしん)することは、向上心旺盛(おうせい)で、よく研鑚努力したということで賞賛される。

 このような言い方もある。優越感に浸(ひた)りきって他人を見下すのも善くないが、劣等感で卑屈になるのもよろしくないと。これにならえば、「劣等感をバネに金メダルを取った」ということだろうか。あるいは「卑屈なまでの劣等感」があってはじめて、というべきか。いずれにしろ「他人より上でいたいという欲望」はかなり強烈なものらしい。

 ここに仄(ほのか)見えているのが「他人から賞賛されたいという欲望」だ。とにかくトップに立てば大勢の賞賛を浴びるのは確実で、この欲望もけっこう強い。こうなると「他人より上でいたいという欲望」が先なのか、「他人から賞賛されたいという欲望」が先なのか……。ことはまことに複雑だ。

 蛇足ながら付け加えると、優越感・劣等感の「感」は「複合」とする訳し方があり、こちらの方がもとの用語の意味を正確にとっている。つまりは「複雑」な心の働きなのだ。さらには「賞賛」と「ねたみ」は紙一重ということもあり、ある場面では、いったい賞賛されたいのか、ねたみを買いたいのか、判断に迷うことさえある。ご当人の意識では、当然「賞賛」の方であろうが……。

 それはともかく人間の頑張り・努力というものは、一部ではあれ、これらの欲望に支えられている。このことが無条件にプラス評価されることもあれば、そうでないこともある。

 スポーツはプラス評価される方の代表だろうが、学問などはそうでないことが多いようだ。ところが、中学や高校で習ったことを思い出してほしい。数学や科学・生物の授業では、最初に提唱した人物の名を冠した法則・理論がたくさん登場するが、それを目指して先を争ったという歴史も結構ある。有名なところでは、ダーウィンの「進化論」がその典型だ。〈つづく〉

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