自在生活ノススメ |ボランティアについて 3 by Ufo

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 さてこの「布施(ふせ)」あるいは「ボランティア」の中でも、言葉は悪いかもしれないが最も「原始的」とも言える経済的側面、つまり「物を分け与える」ことに限ってみても、事はなかなか複雑である。原始的と書いたのは、動物たちには申し訳ないが他の動物もすることがあるからで、おそらく人間が人間になる以前からあった行為なのだろう。個体によるのではなく「種」の保存本能なるものがあるとすれば、それが働いているのかもしれない。

 ところが悲しいかな人間には、自らには必要でないものまで保持したいという欲望が顕著(けんちょ)にある。他の動物にもそんな例はなくはないが、目立たないし、仲間(同種)同士で殺し合いをするほど強くもないようだ。だからこそ人間には、神なり聖人の教えや、殺し合いに至らないような仕組みも必要ということなのだが……。

 話を前に進めよう。人間の心理というものはとても複雑で、この「自らには必要でないものまで保持したいという欲望」が「他人より上でいたいという欲望」と結びつくことが多い。しかしこうした欲望は、世間でマイナスに評価されることが結構多い。例えば小学校教育の場で「みんないっしょにゴール」などというのはその典型で、いわゆる平等主義がその現れである。組織の中で目立つことは「ねたみ」「そねみ」を招くから、ほどほどに抑えておくように注意されることがあるのも、この延長のなのだろう。いじめの直接のきっかけも、このあたりにあることが多いようだ。

 ところが、他方には「切磋琢磨」という言葉があるように、この欲望が「向上心」の原動力にもなっていて、あながち否定し去るべきものでもない。平等主義がその理想とは裏腹に、現実には低い所を基準に定め、全体の水準を下げる働きしかしないのと対照的だ。複雑さの所以(ゆえん)である。

 しかし、ここまでなら、複雑とはいっても、まだまだ現実の人間の心理の複雑さに及ばない。この「他人より上でいたいという欲望」を例にとってみよう。世間から、あるいは信頼する人物からこの欲望をマイナス評価されることがあると、人はこれをストレートには表現しなくなる。どう屈折させるかは人それぞれなのだが、多いのは結果オーライにもっていく手である。世間からプラス評価を受ける結果を目指すのだ。学問や芸術・スポーツなどがそれにあたる。〈つづく〉

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