自在生活ノススメ |侃々諤々と喧々囂々 by 藤村 恵容

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 ある放送局の、野球中継でのアナウンサー。

「さぁ、ここで一発、さきほどの汚名ばんかい(挽回)なるか……」

 何の違和感もなく聞いている「汚名挽回」ということばは、「汚名返上」と 「名誉挽回」が混用された誤用語句である。汚名は返上するもので、挽回するものではない。

 同じように違和感なく使われ、また聞いていることば。

「昨日の会議では議論が沸騰して、けんけんがくがく、口角沫(こうかくあわ)を飛ばして……」

 この「けんけんがくがく」ということばは、「侃々諤々(かんかんがくがく)」と「喧々囂々(けんけんごうごう)」の混用である。「侃々諤々」と「喧々囂々」との二語は、単に音が似ているから混用されたのだが、実はこの二語、異質の意味を持つ二語なのである。

 少々横道にそれるが、先日、代表的国語辞典といわれる「広辞苑」が、第五版刊行にあたって大改訂を行なった。ことばは、それが正しく使われているかどうかよりも、どれくらい大勢の人に使われているかで認知が決められる。使われなくなると死語になる。「ことばは生きもの」といわれる所以(ゆえん)である。

 ぷっつん・どたキャン・目が点になる・茶髪・ばついち・ぽい捨て・散骨・環境ホルモン・地球温暖化……。「広辞苑」第五版に採用された新語の一部である。現代の風俗や社会問題が新しいことばを生み落とす。これはこれで時代が反映していて興味深い。

 ところが、誤読が普遍して「慣用」の名で認知され、やがて辞書に掲載されるという例もある。

「病、膏肓に入る」

 このことばは「やまい、こうこうにいる」と読むのが本来正しいのだが、「こうもう」と誤読されたのが一般化し、認知され、辞書にも掲載された。

 身近なことばとしては、「消耗」「撹乱」がある。「しょうもう」「かくらん」は慣用で、正しくは「しょうこう」「こうらん」と読む。

 話を元に戻すが、「侃々諤々」と「喧々諤々」の二語を辞書で調べると、「侃々諤々」は、剛直で言を曲げないこと、憚ることなく議論すること。「喧々囂々」は、口やかましく騒ぐさま、と記されている。つまりこの二語は、次元を異にする異質のことばである。

「けんけんがくがく」は、この異質の二語が混じり合った玉石混交(ぎょくせきこんこう)のことばであり、「汚名挽回」とともに、いくら慣用といえども認知してほしくない。

 論じる者が、己れの見識を持って遠慮なく直言する。「侃々諤々」には、どこか「諌暁(かんぎょう)」に通じる迫力がある。日蓮聖人の公場法論のお姿が見える。今、立教開宗(りっきょうかいしゅう)七五○年を迎える我々にとって、日蓮聖人の大誓願を、どのように己れの誓願として受け継ぐのか。「侃々諤々」の議論が必要なのではないか。

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