自在生活ノススメ |日蓮聖人の頃のうわさ by 河村 恵亮

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  文字化された言葉は、大量の情報を不特定多数の人々に伝える。しかし書かれた言葉は、それを語る者があらかじめ姿を消してしまう。

 七月二十四日の毎日新聞「女の気持ち」の欄に、四十五歳の女性の詩が掲載されていた。

「東ニ登校拒否ノ子供アレバ 無理ニ行カナクテモイイト言イ 西ニ介護疲レノ母アレバ イッテデイケアセンターヲ紹介シ 南ニツブレソウナ銀行ガアレバ………」

 彼女の顔を見、肉声が聞こえたら、もっと他のことがわかることだろう。

 八月末頃の毎日新聞には、ある宗教団体の名誉会長が著した本の広告が、一面全体にロマンチックに出ていた。しかし、レイプ事件でこの著者を訴えているある女性には、その本の一字一字がどのように映るだろうか。

 情報だけが飛び交い、それに引っかかって苦しんでいる人のいかに多いことか。 なら日蓮聖人(にちれんしょうにん)の頃には、情報はどのように伝えられたのだろうか。酒井紀美著『中世のうわさ』を読んでみた。

「すさむ」とは「すさぶ」「すさまし」と同義語で、人の力では制御できず、成り行きのままになるという意味の言葉である。人の意志を越えて口から口へ勝手に広がっていくという、それ自体生き物のようなもの。それが中世の「口遊(くゆう・くちずさみ)」であった、という一節がある。戦争や飢饉(ききん)といった、今日ならば即時に新聞やテレビが伝えるであろう出来事も、「うわさ」として広く人々へと伝えられている。

「うわさ」は人々にニュースをもたらす情報源として、大きな役割を果たしていた。貴族や僧侶の日記で「うわさ」について記述のないものは皆無といってもよく、日蓮聖人もまた、蒙古のことなどを人々の口から伝え聞かれたと思われる。

 中世の文章や記録に出てくる「うわさ」を意味する言葉は、風聞(ふうもん)・口遊・人口(じんこう)・雑説(ぞうせつ)・沙汰(さた)・謳歌(おうか)・童謡(わざうた)等たくさんあって、その多様さには驚かされる。「うわさ」は尻尾をつかませず、しかもその広がりに一役かった人々の想像を遙かに超えて広がっていく。ここから人々は「天に口無し、人の囀(さえず)りを以(も)て事とす」と考えていた。

 訴訟があれば、犯人かどうかは村人の投票で決定。その際「風聞は三十通をもって、実証十通に準拠して沙汰あるべし」とあり、風聞でも犯人を断定することになる(法隆寺文書より)。もちろん、投票は神仏の前で誓った落書起請文(らくしょきしょうもん)である。

「うわさ」で戦争が起こったり、政権が倒れたりする。「風聞」を抑える方も必死である。「言口流罪(いいくちるざい)」といって、誤った言口は流罪になった。日蓮聖人はこのような頃に生きておられた。一言一言が処刑や流罪と背中合わせである。布教は肉声を通し、口から耳へと主体的に、死と隣り合わせで行われたと思われる。

 日蓮聖人の肉声を聞き、顔を見た時、どれほどの勇気と励ましを人々に与えたことだろう。今私は、日蓮聖人の肉声をどのようにして聞いているのであろうか。

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