自在生活ノススメ |第三の眼 by Chijo

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 私は歳をとることを考えると、恐ろしくて仕方がない時があります。それはなにも老後の保証を心配しているのではなく、ただこの国の未来を思うに、あまりに深い絶望感を拭(ぬぐ)いきれないからです。

 あなたはどうでしょう。世界や国といった比較的大きな単位ではなくても、ただ日々の生活で漠然(ばくぜん)とでも、明日への不安が心をよぎることはありませんか。

 いまこの国では、不安をかき立てるたくさんの要素が、マスコミを通して顕在化(けんざいか)しています。子供達を、ただ一様に「未来を担(にな)う新しい希望」として捉(とら)えがたい現状を、目の当たりにした思いです。いや、正確に言うなら、今の社会が「そういった子供達しか育てられない大人で構成されている」という現実に、あらためて愕然(がくぜん)としたというところでしょう。

 もちろんマスコミというものは、比較的ショッキングな話題を中心に取り上げますから、その表面だけをうのみにして、必要以上に騒ぎ立てることはありません。ただ現時点では、希望を持てと言われても、それに足る要素、すなわち信念や自信というものを、なかなか持てない人たちの方が多いかもしれませんね。

 先ほど私は、世界や国のことを「単位」と表現しましたが、所詮どんな大きさの単位であろうと、こと人間が作っている社会という面において共通しているのなら、その利点や問題点も、大小に関わらず共通している部分があるのではと思っています。それは、それぞれの社会が持つ機能や民族性といった表面的なものではなく、心を持った人間という生物が集団となる上で共通する、精神的な部分を指すわけです。

 あなたも私も、まずは自分の無力さ、弱さを常に自覚しておく必要があります。なぜならこの自覚がない為に、人は自分の弱さを無意識のうちに守ろうとするあまり、他人をおとしめようとするからです。こうした行為はもっとも卑劣で、自分の無力・無能さの「棚上げ行為」に他なりません。またそうした行為に躍起になることもばかげたことです。日本の政治を見ても、まさしくそんな行為がまかり通っているようですが、国という単位であろうが、一対一のおつき合いであろうが、同列に扱われるべき問題です。

 自分の弱さを認めてしまうこと。そして、それでもなおプライドを失わないこと。このプライドとは「自分のあるべき姿を見極める努力を怠(おこた)らない」という、人間としての尊厳(そんげん)です。これを失ったとき、人の精神的な成長は停止してしまうことでしょう。

 我が国の教育制度にも大きな問題があるのでしょうが、とくに私たちのような若い世代の多くは、勉強という行為に対し「嫌々ながらも強要され、競争・比較させられる」という悪いイメージを持っています。そこからは、多くを学ぶことで自分の特性を発見しようとする前向きな姿勢は、失われてしまいます。しかし自分を見つめ直す行為を怠ってしまったら、自分にとってこの世界は孤独と不安に満ちたものになるでしょう。

 自分の弱さを知ること、そして自分の利点を知ること。このどちらが欠けても、自分にとってのあらゆる社会が、とても居づらい場所になってしまいます。つまり原因はその社会やグループなどに有るのではなく、閉ざされた「第三の眼」すなわち「自分自身に対する自分の観察力」にあるということです。逃げ出したり批判したりしたところで何の解決にもならず、結局は自身の成長のチャンスをどんどん逃しているにすぎません。

 みんなが先入観という重いまぶたを開いて、他人との関わりから自分を見つめ、成長していける生き方を体得できれば、どんなに楽な世の中になることでしょう。

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