やさしい法華経物語 |如来寿量品 第十六 (6) by Taisu
話

仏さまのこばなし

いつそば「我聞の章」

やさしい法華経物語

ウッキ〜くん

妙ちゃん

グリトラクータ童話

image お釈迦(しゃか)さまは、さらに次のようなお話をなさいました。

「それは考えもおよばないほど、はるか昔のことである。その時からずっと私は悟りの境地に住しており、常に人々に教えを説いている。この量り知れないほど長い時間の中で、数え切れないくらい多くの者たちに教えを説き、常に巧みな方便(ほうべん)を使って導いてきたのだ。

 その方便とは、私の寿命がいったんは尽き、死に至る姿を見せるということである。しかし本当は仏の寿命は永遠に尽きることがなく、いつも私はここにいて、人々を守っているのだ。

 では、なぜそのような方便を私は使うのか。正しい道理をわきまえぬ愚かな者たちは、私の命が尽きたことを知り、もう私の姿を見ることができないと思うからこそ、仏を慕う気持ちを起こすであろう。そうなって初めて、彼らの心は純粋で素直になる。そして彼らが、正しい教えのためには自らの命も惜しまぬようになった時こそ、私は彼らの前に姿を現すだろう。そこで私はこのように説くのだ。私は本当に死んだのではなく、常にこの世界に繰り返し現れるのだと。

 仏の智恵の力とはこうしたもので、常に光り輝いており、決して終わりが訪れることは無い。すなわち、仏の寿命は永遠なのだ。

 私のこの言葉は、決していつわりではない。あたかも先ほどの名医の話のように、正気を失った子供たちを目覚めさせるため、あえて自分を死んだと言い伝えさせたとしても、医者のいつわりを責める者は誰もいないのと同じことなのだ。

 私はこの世の父であり、あらゆる生命の病を治す者であり、世の中を救う者である。人々の心は様々であるが、私の思いは常に一つである。それは『どのようにしてすべての人々を、この上なき正しい道に至らせて、仏となれるように導くべきか』ということだけなのだ」。

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