ブッダの滅後、出家在家の弟子たちは、ブッダが様々な人々に説かれた教えをまとめ、それを「仏説」として確定するための集会を開きました。これを「結集(けつじゅう)」といい、全部で四回行われたと伝えられます。
結集にあたり、まず戒律をまとめる責任者を「持律(じりつ)第一」のウパーリが担当することには、誰も異議はありませんでした。ところが、経典をまとめる責任者を誰にするかが問題だったのです。
弟子の中でもブッダの教えを最も多く聞き、入滅までお側近くお仕えしていたのは「多聞第一」のアーナンダでした。しかし、この時彼はまだ悟りを開いていなかったのです。そのため、ブッダ亡き後の教団指導者として厳格であったマハーカッサパは、彼に責任者になることを許しませんでした。
アーナンダはこの時、今までとは異なった強い責任感を感じました。そして第一回目の結集が行われるという前夜、心を集中し頭を枕につけようとした瞬間、ついに智恵の眼を開いたのです。
翌朝、悟りに達したアーナンダは晴れ晴れとした顔で結集の場に現れました。そして経典をまとめあげる責任者として「このように私は聞きました」と発声し、後に多くの経典が編纂(へんさん)されるにいたったのです。
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